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> メモ帳
> 「白土三平伝・カムイ伝の真実」(毛利甚八)読了   7.23.
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白土三平さんがマンガを描かなくなり、アウトドア雑誌
「ビーパル」に漁村や山村の伝統料理や技術を写真と文章で
記録していく「白土三平フィールド・ノート」を連載されていた
ころ、「ビーパル」に出入りするライターだった筆者が、
編集者に連れられて、白土三平さんに初めて会ったとのこと。

そして、白土三平さんという個人を知ってから、その作品を
熟読するようになったということです。

私は、子供のころから、白土三平さんのマンガには親しんできました。

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月刊誌「少年」に連載中の「サスケ」、月刊誌「少年ブック」に
連載中の「真田剣流」、月刊誌「ガロ」に連載中の「カムイ伝」、
「週刊少年マガジン」に連載中の「ワタリ」、のちに
「週刊少年サンデー」にたまに掲載される「カムイ外伝」、
「ビッグコミック」に連載された「神話伝説シリーズ」
「カムイ外伝」「カムイ伝・第2部」なども読み続け、
その他、短編作品などにも接し、最初に出た新書版コミックスの
「忍者武芸帳」「カムイ伝」も全巻揃え、映画「忍者武芸帳」「ワタリ」も
映画館に観に行きました。

新書版コミックスで出た「忍者旋風」が、白土作品の中で
最も好みだったでしょうか?
久松文雄さんによるマンガ化(マンガが原作という珍しい例)の
「風のフジ丸」も月刊誌「ぼくら」連載中に読み、テレビアニメも
見ていました。

「風のフジ丸」に改題されたのは、提供が、藤沢薬品だったからだと
聞いたことがありますが、藤沢薬品は、アステラス製薬になった
ので、現在放送すれば、「風のアステラ丸」になりますね?

何度か引用されている「週刊ポスト」に掲載された
白土三平さんと山口昌男さんとの対談記事も、発行当時、
何度も読み返したものでした。

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と、そういうマンガ中毒者であった私は、おとなになってから
仕事のためにマンガに取り組んだかたが書かれた文章には、
ほんまかいな?と思うことが、しばしばあります。

【講談社児童まんが賞の審査委員として水木しげるや永島慎二、
石森章太郎(後に石ノ森章太郎)の受賞に力を尽くしたことも、
白土さんが岡本唐貴から受け継いだ家長の性質からくる
「優しさ」や「包容力」の表れだ。】
と書かれていましたが、水木しげるさんの「テレビくん」が
受賞したときの審査員が、白土さんであったということは
初耳でした。

水木しげるさんの自叙伝でも、そのことに触れられているのは
目にしたことはなかったように思います。

講談社児童まんが賞を永島慎二さんは受賞されていないので、
間違った記載であり、ほかのことも信じられなくなります。

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【おそらく昭和四三年のことである。大多喜の商人宿で仕事を
している白土三平のもとを長井勝一が訪ねてきた。
つげの作品を携えての相談事だという。
「こんな作品をガロに載せていいものかどうか、貸本組合の
ほうでもめているんだけど意見を聞かせてほしい」という用件だった。
白土は一読して、「載せていいんじゃないですか」と言った。
その作品は「特集 つげ義春」と銘打った「ガロ 六月号増刊」の
巻頭を飾る『ねじ式』であった。
『ねじ式』は全共闘世代の若者に雷のような衝撃を与え、日本の
マンガ文化を多様化させるジャンピングボードとなっていく。】

とありましたが、これも、初耳です。
「月刊漫画 ガロ」発行時には、貸本組合が、おうかがいを
たてるような力をもっていたとは、とても思えないし、
ありえない話のように思います。

あとがきにも、
【つげ義春の『ねじ式』を掲載することを決めたのは白土三平
だったことを本人の口から聞いた時、私は初めて、二〇世紀の
日本マンガ文化を大きく前進させた一人が「この目の前に
いる人なのだ」と悟って背筋が寒くなった。】

とも書かれていますが、私は発売時に「ねじ式」の掲載された
「特集 つげ義春」を購入していましたが、雑誌「COM」で、
石森章太郎さんが「ファンタジーワールド・ジュン」を発表、
わけのわからないマンガとして話題になっていたこともあり、
そうしたマンガのひとつだと思って読んでいました。

素晴らしい内容に感動はしましたが、そこまで問題にされるような
ことはなかったように思います。

あとがきの文章からは、当時、「ねじ式」に接していなくて、あとで、
その伝説から接した人の書いた文章だなぁ~と、なんとなく
納得できるものがありました。

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白土さんにインタビューして書かれた本のようですが、
白土さんにも勘違いということがあるでしょう。

「月刊漫画ガロ」に連載されていた「カムイ伝」の絵を担当される
小島剛夕さんとの連絡係りを白土さんご自身がされていたと
書かれていましたが、京都のトランスポップ・ギャラリーで、
「月刊漫画ガロ」の編集者で、当時、その連絡係りをされていた
ことを石黒清さんから伺ったことがあり、石黒さんもされていた
のでは?と思いました。

石黒さんの回想によると、小島剛夕さん宅で完成させた原稿を
届けた際に受け取るのは、いつも白土さんの奥さんで、白土さんが
対応することはなかったということで、白土さんは、そのことを
ご存知なかったとは思いますが、本では、白土さんが
ずっと小島さんとの打ち合わせに赴いていたような印象を与えるので、
白土さんの回想だけには頼らず、もっと調べて書いてほしい気も
しました。

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冒頭の白土さんが子供時代を過ごした、大阪と長野県上田市を
筆者が訪ね歩くところは、よく調べられていて感心しました。

大阪では、豊中市におられたとのことで、豊中市の手塚治虫さんの
生誕の地とともに、白土さんが暮らしておられたあたりは、
マンガの名所になるのではと思いました。

白土さんが、マンガを描きはじめた際、手本になるのが、
手塚治虫さんのものしかなかったと書かれていたのは、
印象深いことでした。

テレビドラマの「おひさま」で戦争中の子供の学校での
教育が描かれていましたが、あのドラマと同じ長野県で、
同じ時期、白土三平さんも同じような教育を受けて
おられたのだなぁ~ということにも興味がわきました。
by hitcity | 2011-07-23 07:38 | Comments(1)
Commented by 石黒 清 at 2012-01-03 15:08 x
石黒です。 きょう(2012・1月3日)になってこちらの記事を初めて読ませていただきましたが、ぼくが話したことのない内容が記述されているようですのでご確認を願いたいと思います。
①、ぼくは1967年4月から小島剛夕先生の描かれた『カムイ伝』の「画稿」を神田神保町の青林堂か練馬の赤目プロへ運んだのですが赤目プロで応対してもらったのは白土先生の奥様ではなくマネージャーをしておられた岡本真氏または総務的なお仕事をしておられた岩崎氏でした。(これについては別の原稿でこれまでにも複数発表済みのことです。)
②、白土先生ご自身が剛夕先生との間の「連絡係」をしておられたかどうかについてはぼくは全くあずかり知らぬことですし、その表現自体正しくないのではないかと思います。(ぼく自身も「連絡係」と言うような役割ではなく、青林堂の社員として、しかし実際には一部、剛夕先生の内弟子のようなこともして働いていたとお話ししたはずですが、)
-----------------------------------------------------------
以上、自戒を込めて指摘させていただきました。
失礼します。

高木ひとしのブログです。ツイッターもやっています(高木ひとし@ hithitcity )。連絡事項のあるかたは非公開チェックのうえコメント欄を利用していただくかツイッターでお願い致します。
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