> 以前の記事
2012年 05月
2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 > お気に入りブログ
> 最新のコメント
> メモ帳
|
> コメント欄 2012.1.10.
![]() ★又六さん このまえ、貸本マンガの「武芸紀行」(さいとう・たかを)の全2巻本に ついて質問をさせてもらいましたが、その本の広告の載っている さいとうプロ発行の貸本マンガ誌「ゴリラマガジン」を見つけました。 ![]() ページをめくると、「ボーイズライフ」に連載されていた、 さいとう・たかをさんの「007」の広告もありました。 ![]() 「ボーイズライフ」の「007」が、私が、雑誌で初めて接した さいとう・たかをさんのマンガだったと思います。 そのころは、まだ、さいとうプロで、貸本マンガ誌は発行されて いたのですね。 長谷邦夫さんが朝日ソノラマのサンコミックスで描きおろし単行本として 刊行された「東海道戦争」(原作・筒井康隆)は、「ボーイズライフ」に 分載される話があったものの、「ビッグコミック」創刊のため、 「ボーイズライフ」が休刊となり、実現されなかったとのことでした。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 昨年、大阪市立中央図書館で、「ビッグコミック創刊物語」(滝田誠一郎) という本を借りて読了しましたが、当時は、マンガは低く見られていて、 編集者自身、マンガ担当ということに対して劣等感(?)を抱いていたと いうことが書かれていました(小学館は、マンガ以外の出版もされて いますし)。 私の10代のころなどは、世間からは、マンガなんて~と見られていた ものでした。 いまのように、大学の学部になったり、図書館に置かれたりすることも ありませんでした。 今だったら、小説家がマンガを愛読していても不思議でもなんでも ありませんが、北杜夫さんなど、マンガ愛好家ということで、 いいおとなが~、と面白がられていたところがありました。 北杜夫さんの小説「ぼくのおじさん」では、親戚のおじさんの 変人ぶりを紹介するのに、おとなになってもマンガを読んでいる ということも挙げられていたと思います。 そんな時代だからこその、誇り発言だとして心がけて読まないと、 いまなら、「ノンキ先生まんがノート」(寺田ヒロオ)は、ピンと こないかもしれませんね。 私は、そうして、マンガが低くみられていた、マンガばかり見ていると バカになると言われていたころのマンガのほうが、面白かったような 気がしてしかたがないです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 長谷邦夫さんの「漫画に愛を叫んだ男たち」は、私も読みましたが、 ほかのトキワ荘関連書を見ても、長谷さんと寺田さんとの交流を 描かれたものは、目にしたことがにないような気がしますね? 「ノンキ先生まんがノート」が、「カメラマン金太郎」という 寺田ヒロオさんの本に収録されているということは知りませんでした。 というか、「スポーツマン金太郎」は読んだことはありますが、 「カメラマン金太郎」の存在は知りませんでした。 「このマンががすごい2012」で、小林まことさんの 長谷川伸シリーズを、アンケートの第1位にあげておられるかたが いたので、そういうマンガがあるのかぁ~と、興味が湧きました。 長谷川伸作品は、たしか旺文社文庫だったと思うのですが、それで 何作か読んだことがあって、好きです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 梅田のヘップホールの「楳図かずお恐怖マンガ展・楳怖」の売店で、 ウメズパーフェクションの「わたしは真悟」を手にして、欲しいとは 思いましたが。 古本で安ければ買ってみたい気がしています。 その展覧会の会場では、「わたしは真悟」のラストのほうの場面の 再現コーナーがありました。 床にロボットの手の先(?)が置かれています。 その前に、悟のように佇み、しばし、しみじみとしました。 地面には、「アイ」という文字。 もし英語版が出るならば、「I」と、絵の中の文字も描きかえなくては いけないのかな?と、ふと思ってみたりもしました。 ウメズパーフェクションの「わたしは真悟」のブックデザインを されている祖父江慎さんは、「グワシ!楳図かずおです」という 映画に出演されていました。 予告編にも登場されています。 そう、寺田さんとは、野球の試合のときに、呼ばれてゲームに出て、三振していました。それくらいかな。あと、茅ヶ崎のご自宅の庭の小屋に篭もって、出てこなくなってしまったときに、A先生から「ぼくではダメなんで、手紙を書いてほしい」と、依頼されてお便りを出したんですね。『漫画少年」史が、刊行されたんで、出版記念会をやる!ということでのお便りでした。 すると「漫画少年」を<語る会>なら上京します!と、ぼくにご返事がきて、そのあといろいろお便りを出し、打ち合わせて、新宿駅の駅ビル内で、開催したことがありました。 小学生の僕は、野球は大好きで地元のドラゴンズ、「背番号ゼロ」は大好きで、正義やチームワークを「背番号ゼロ」に学んだ。しかし、寺田ヒロオさんにとって、野球は剣道みたいな、武道つまり人間修養の場所、という意味合いが、強いですよね。今、「背番号ゼロ」を読むと、寺田ヒロオさんは宮本武蔵の感じですよ。 何故、寺田ヒロオさんは、青年マンガに移行というか進出出来なかったんでしょう。今度初めて「カメラマン金太郎」を読みましたが、僕は絵など専門的なことは判りませんが、寺田ヒロオさんは、充分、青年マンガを画くことは出来たんじゃないでしょうか? 僕は、野球少年の「背番号ゼロ」の前は、おもしろブックの「ポストくん」のフアンでした。高学年になって野球少年に換わった。正義感あふれるポストくんは、馬場のぼるさんです。馬場のぼるさんは、絵本などの幅の広い活躍をされた。寺田ヒロオさんの持ち味が失われたことは、何故なんでしょう?。
|
![]() by hitcity > 最新のトラックバック
> ライフログ
> 検索
> おすすめキーワード(PR)
> ファン
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||