> カテゴリ
> 以前の記事
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
> お気に入りブログ
> メモ帳
映画「菊とギロチン」のサイン会
f0151647_19133565.jpg

f0151647_19165422.jpg

f0151647_19193102.jpg

f0151647_19224589.jpg

f0151647_19260844.jpg

f0151647_19275227.jpg

f0151647_02270882.jpg

f0151647_02321070.jpg

f0151647_11383944.jpg

f0151647_11404601.jpg

7月8日の日曜日に、テアトル梅田で、映画「菊とギロチン」の瀬々敬久監督と木竜麻生さんの舞台挨拶を観たことをブログで紹介、引き続いて、おふたりのサイン会におもむいたことは後日に、というままになっていました。

下書き保存で、写真の用意はしたところまではいっていたのですが。

午前3時(月曜は午前2時)から正午までの勤務のところ、このところ、午後1時までの残業の日も多く、暑い中、重量のあるものを持ち上げ積み重ねる作業の多い肉体労働で、クタクタになっています。

帰宅時は、自転車で、40分ほど走るのですが、仕事の関係からか脚の膝に痛みも感じるし、炎天下の中、暑くてたまらず、今日(7月18日の水曜日)なんか、途中で、無事に家にたどりつけるのか?と不安になったりするほどでしたが、なんとか家にたどり着けたという感じです。

帰宅後は、横になって、ボンヤリとテレビを眺めています。

しんどくて、ブログの文章を書く気が起きません。

しばらくブログを休ませてもらおうと思います。

「菊とギロチン」のサイン会の時の写真のみ、今回は紹介させていただきます。

サイン会では、おふたりに握手をしていただきました。

映画自体は、3時間は長すぎると感じる、しんどい映画でした。

火曜日の休日は、整形外科医院に行って、脚を診てもらったり、脚に電気をあててもらったりしましたが(3度行きました)、あとは、できるだけ、家で、じっとしていることにしています。

7月14日の土曜日、シネ・ヌーヴォへ、ラジニカーント様主演のインド映画「リンガー」は観に行きました。

3時間を堪能し楽しめた映画でした。
やっぱり、インド映画は、ラジニ様に限る!という実感がありました。

今週の金曜日(7月20日)までですので、お勧めしておきたいと思います。

私の描いた1コママンガが掲載されている1コママンガ誌「EYEMASK」の新しい号(56号)も届き、それについても書いてみたいのですが、ここでは、出たという告知だけをさせていただきます。

それでは、また。

f0151647_19574253.jpg

f0151647_20031655.jpg

# by hitcity | 2018-07-18 19:46 | Comments(0)
映画「菊とギロチン」の舞台挨拶
f0151647_14124607.jpg

●7月8日・日曜日の休日

午前9時3分、南海電車の最寄り駅の住吉大社駅から普通電車に乗って(急行は初詣の期間しか停まりません)、ナンバ駅へ。

地下鉄・御堂筋線に乗り換えて梅田駅へ。

茶屋町のロフトの地階にあるテアトル梅田に着いたのは、午前9時45分。

インターネットでチケットを購入した人間は、届いたメールのQRコードを発券する機械にかざしたり、暗証番号を入力したりしなくてはいけなくて、長い列ができていて、皆が入場したのは、午前10時の上映開始時間ギリギリになったと思う。

予告編はなく上映開始。
3時間9分の映画。

午後1時5分に、瀬々敬久(ぜぜ たかひさ)監督と木竜麻生(きりゅう まい)さんが、舞台挨拶に登場。

写真撮影可能で、拡散してくださいとのこと。

25分間の舞台挨拶。
質疑応答コーナーでは、3人が監督に、1人が木竜麻生さんに質問。

このあと、ロビーで、映画のパンフレットや木竜麻生さんの写真集などへのサイン会があるとのこと。

トイレに行ったあとにパンフレットを購入してみたら、サイン会の長い列ができていた。

テアトル梅田は、2館が入っているミニシアターで、大きい96席のほうで上映。

到着した際、当日券がありますと、スタッフが言っていて、当日券を買っているお客さんもいましたが、満席での上映だったとは思います。
私は前から2列目に座っていて、後ろは見なかったので、どうだったかわかりませんが。

サイン会に並ぶため、ほとんどの人がパンフレットを購入していたと思います。

1冊1000円で、90冊とすると、90000円の売り上げとなりますね。

もし、サイン会がなければ、パンフレットを購入しなかったと思います。
サイン会は、あなどれませんね。

写真の数が多くなりすぎるので、今回のブログでは、舞台挨拶の写真を。

サイン会については、後日ということにさせてもらいます。

f0151647_14144119.jpg

f0151647_14195784.jpg

f0151647_14214734.jpg

f0151647_14153312.jpg

f0151647_14190662.jpg

f0151647_14212734.jpg

f0151647_14271143.jpg

f0151647_14283912.jpg

f0151647_14325746.jpg



# by hitcity | 2018-07-10 14:58 | Comments(3)
映画「バーフバリ 王の凱旋/完全版」
f0151647_14395569.jpg

●6月16日・土曜日

午前3時から正午までの勤務を終え帰宅。

先週の9日の土曜日も、正午に勤務を終え帰宅して、そのあと、なんばパークスシネマへ、午後3時前から上映の「バーフバリ 王の凱旋/完全版」を観に行こうとしたが、間に合いそうになく、シネ・リーブル梅田で、午後4時過ぎからの「MIFUNE:THE LAST SAMURAI」を観に行くことに変更をした。

同じなんばパークスシネマで、先週は午後3時前からの上映だったのが、今週は午後4時前からの上映に変更になっていて、間に合いそうなので、観に行くことにしました。

f0151647_14271808.jpg

南海電車の始発駅のナンバ駅に隣接してある、なんばパークスの中に、なんばパークスシネマはあります。

f0151647_14333332.jpg

f0151647_14291741.jpg

f0151647_14320684.jpg

どこの映画館に行っても、置かれているチラシは、すべて貰って帰ることにしていて、雑誌1冊分ぐらいの重量に感じることがあります。

f0151647_19144167.jpg

4月1日の日曜日、シネ・ヌーヴォで、原一男監督と出演者のかたがたとのトークショー付きの「ニッポン国VS泉南石綿村」を観に行った際、上映終了後、ロビーに行列ができていて、次の映画の入場待ちをされていたのですが、今まで、シネ・ヌーヴォで見たことのないような人の多さ、シネ・ヌーヴォで見たことのないような熱気を感じる若い男女たち。

「バーフバリ」というインド映画の第1作と第2作を続けて上映で、この日は、毎月1日の映画サービスデーで、2本立てで、割引料金となると、値打ちがあるなと思う。

インド映画は好きで、何作か観に行っているが、スーパースター☆ラジニカーントさんの出演作に比べると、そうでない映画には物足りなさを感じ、結局、自分は、インド映画よりも、ラジニ様が気に入っていたのかと、ラジニカーント出演作以外は観に行かないようになりました。

「バーフバリ」の存在も、なんとなく知っていましたが、日頃、足を運ばないテアトル梅田などミニシアターでの上映で、気にもせずに過ごしていました。

「バーフバリ 王の凱旋」の「完全版」なるものが、ミニシアターではないシネコンまで進出して公開されることを知り、気にはなってきました。

もともと気になっていた映画が、削除されていた26分間の場面が復帰し完全版として上映されることになったとのこと。

ギターデュオ「ゴンチチ」のチチ松村さんのツイッターの書き込みを、誰かがリツイートされているのを見ましたが、チチ松村さんが、シネ・ヌーヴォで「バーフバリ」の2回目を鑑賞したが面白かった!と書いておられ、2度観て面白いのなら、確かに面白いのだろうなと、観に行く気持ちになりました。

f0151647_17252786.jpg

「バーフバリ伝説誕生」と「バーフバリ王の凱旋」の2部作で、「王の凱旋」は、後編にあたるようです。

映画の冒頭に1作目の「伝説誕生」のダイジェスト映像が流れます。

検索をしてみて出てきた、次のタイトルの動画が、そのダイジェスト映像のように思えました。

【インド映画『バーフバリ』完結編を見る前に5分でわかる前作ダイジェスト映像】

う~ん、これでは、よくは、わからないなぁ~。

解説によると、親子3代にわたる物語とのこと。

親子3代にわたる面白い小説としては、「富士に立つ影」がありますね。

小林信彦さんが、「小説世界のロビンソン」という著書の中で、まぁ、こんなに面白い小説は他にないだろうというぐらいの力説ぶりで紹介されていた小説で、文庫本で10冊になるようですが、その3冊分ぐらいを、「白井喬二集」として刊行されたものを古本で読んだことがありました。

当時は文庫本で刊行はされていなかったのかな?
そのまま読まないままになっていましたが、文庫本の「ちくま日本文学全集」の「白井喬二集」として、「富士に立つ影」の全10冊の文庫本の物語を要約して全1冊の文庫本として刊行されたことがありました。

ちくま文庫のその「白井喬二集」を読もうかなと、ちらっと思ったこともありましたが、今回、「バーフバリ伝説誕生」のダイジェスト映像を観て、それで読まなくてよかったなと思いました。

やはり、「バーフバリ伝説誕生」そのものを観ないことには、その面白さは味わえないですね。

f0151647_20151790.jpg

よくはわからないまま物語は進行していきますが、場面、場面は、迫力があり、約3時間を、退屈に思うことなく、楽しく過ごすことができました。

巨大な刃が3枚、扇風機のようにまわる装置のついた戦車が登場するのを観て、山田風太郎さんの小説「銀河忍法帖」に登場する戦車と、まったく同じだ!と、似ているなぁ~と思いましたが、よく考えてみると、「銀河忍法帖」は小説で読んだので、その戦車を見たわけでもなかったです。
こんなこともあるのですねぇ~。

f0151647_14480614.jpg

詳しい物語の紹介があるかもと、パンフレットを購入しようかと、売店の価格表を見てみると、「バーフバリ王の凱旋」720円とあり、買いかけましたが、「バーフバリ王の凱旋/完全版」のものがあり、1000円とのこと。
結局、あらすじを読んでみたところで、どうにもなるまいと思うことにして、買いませんでした。

検索してみたら、「バーフバリ」の監督の前作は、「マッキー」とのこと。
ええ~、あの映画の監督なのか。

●映画「マッキー」 2013-11-02
https://hitcity.exblog.jp/20747219/

に、それを観た日のことを書いていますが、是枝裕和監督のカンヌ映画祭で賞をとった「そして父になる」を観に行こうかと思ったが、同監督の「誰も知らない」には気が滅入ったので、観に行かないことにしたと書いていました。

じつは、カンヌ映画祭で賞をとった 是枝監督の「万引き家族」も同様の理由で観に行く気がおこらず、人は変わらないなぁ~と思いました。

是枝監督の「空気人形」と「奇跡」は、楽しむことのできる映画でしたが。

f0151647_14562176.jpg

「マッキー」は、殺された男性が輪廻転生、ハエに生まれ変わり恋人を守るというインド映画で、ムーンライダーズの「僕はスーパーフライ」(作詞・作曲/鈴木慶一)を連想するところがあり、この曲が好きなので観に行こうと思ったものでした。

♪素敵な人の家のまわり
ウロウロするリアリティー
それが 恋 恋 でも心は
とてもロンリー

僕は蠅になって君の
家のまわりグルグルまわる
僕は蠅になって君の
まわりグルグルまわる

その人の名前さえ知らない
ということのリアリティー
それが 愛 愛 だから心は
いつもロンリー

僕は蠅になって君の
家のまわりグルグルまわる
僕は蠅になって君の
まわりグルグルまわる

Super fly, super fly, super fly,
大きな部屋に(君は夢の中)
そっと忍び込んで(僕は部屋の中)
白い壁にはりついて

君に伝えたい 僕がここに居るって事を
君に伝えたい 僕がここに居るって事を

僕は蠅になって君の
家のまわりグルグルまわる
僕は蠅になって君の
まわりグルグルまわる

僕は君のまわりグルグル
まわるグル グル グルまわる
まわるまわる・・・・・・♪


TOHOシネマズなんばの別館のほうで上映されていたようですね。
大人気の「バーフバリ」を観に来た人間で、「マッキー」を観ている人間が、果たして何人いるかな?と思ってみたりもしました。

私には、「バーフバリ」より「マッキー」のほうが面白かったです。
大スペクタクル映画より、こじんまりした映画のほうが好みですね。

f0151647_14512037.jpg

この写真は、6月23日の土曜日に、シネ・ヌーヴォへ、「黒蜥蜴」の大映版(京マチ子)と松竹版(丸山明宏)を観に行った時に撮りました。

ラジニカーント閣下(ラジニ様とも閣下とも呼ばれています)が主演の「リンガー」が、シネ・ヌーヴォで公開されます。

7月7日の土曜日の午後0時30分から、紙吹雪、鳴り物、声援、踊りOKのマサラ上映があり、7月14日の土曜日の午後3時15分からは応援上映がありとのこと。

勤務からの帰宅後、その時間にシネ・ヌーヴォに到着するのは難しいので、上映期間中の自分の休みの日に観に行くつもりにしていましたが、7月10日の火曜日が休日出勤になり、代休が14日の土曜日にとれたので、応援上映の回に行くつもりにしています。

インド映画のマサラ上映は、動物園前シネフェスタとシネマート心斎橋で経験がありますが、応援上映というのは、どのような感じなのかな。

昨日、7月4日の水曜日、テレビの「ちちんぷいぷい」を観ていたら、「菊とギロチン」という映画が紹介されていて、監督と主演女優がインタビューに応えていました。

検索してみたら、「関東大震災後の大正時代末期を舞台に、当時実在した女相撲の力士たちとアナキストたちがもし出会っていたらというフィクションを描く」と書かれていました。

検索して、キャスト名を見てみたら、実在の人物の役が多いようで、大杉栄、正力松太郎、甘粕五郎という名前がありました。

検索してみたら、テアトル梅田で上映され、今度の8日の日曜日、午前10時からの上映のあと、監督と主演女優の舞台挨拶があるとのこと。

インターネットで、今日5日の木曜日の午前0時から、チケット販売とのこと。

午前1時30分に起床して勤務に向かう準備のところ、午前0時30分に目が醒め、テアトル梅田のホームページを見てみたら、96席のミニシアターで、座席表でチケットが売れた席が10席ほど。

主演女優は新人で、自分の知らない人ですが、かわいかったし、いずれ、朝ドラのヒロインになることがあるかもしれず、今のうちにナマで見ておこうという気になり、スマートフォンで、チケット購入の手続きをしました。

瀬々敬久監督と木竜麻生さんの舞台挨拶です。

「ちちんぷいぷい」では、三國連太郎さんの孫で佐藤浩市さんの息子でもあるかたが、この映画でデビューされたとも言っていました。

# by hitcity | 2018-07-05 21:14 | Comments(0)
「この道を歩む/私の漫画活動」(ばばよしあき)
f0151647_14202054.jpg

5月20日の日曜日に、松乃屋雪之丞さんと、大阪南港のインデックス大阪の関西コミティアに行ってきました。

同人誌の即売会です。

松乃屋雪之丞さんとは、「月刊漫画ガロ」誌上での伊丹市在住の川崎ゆきおさんの「漫画同人会もののけ」の会員募集を見て、宛先として書かれていた川崎さんの住所に手紙を送り、やがて、喫茶店で、そうした人達の集まりがあった際に、初めて対面しました。

インターネットなどが存在しない時代で、人々は、そうした雑誌での文通希望や会員募集の宛先に手紙を送り、現在のツイッターでのやりとりのようなことをしていました。

我々が10代のころは、マンガ同人誌を専門に印刷するところなどなく、関西コミティアのようなイベントはありませんでした。

当時は、自分の描いたマンガが印刷をされるということは、雑誌の似顔絵コーナーや、1コマ漫画募集などに作品を投稿して、選ばれたら載るということしか方法はないと言ってもよかったと思えます。

少年マンガ雑誌の新人賞募集などに投稿する際にも、多くの人は、プロの生活を目指すよりも、まず、なんとか印刷されて、セリフが活字(写植)になっているのを見たいなという気持ちが大きかったのではないでしょうか。

我々が10代の頃のマンガ同人誌活動は、マンガの生原稿を閉じて肉筆回覧誌を作り、それを会員間で郵送をしてまわすというのが、通常でした。
添えられたノートに感想や批評を書いて同封して回します。

その感想をまとめたものは、謄写版印刷で会誌を作り配布したりすることもありました。

謄写版印刷機や、湿式の簡易コピー機(青色のコピー)は所有していましたが、コンビニも存在していなくて、コピーをとろうとすると、写真屋で粉をふく感熱紙でコピーをとってもらうしかないようでした。

印刷物のマンガ同人誌など簡単に作ることはできず、高校時代、隣のクラスにマンガの肉筆回覧誌を作っていた山本くんがいて、一度、山本くんと一緒に印刷会社に費用を聞きに行き、応接室で社員のかたに「甘くはないですよ」と言われたことがありました。

そんな中、オフセット印刷の単行本としてマンガ同人誌を発行するグループが出現して、たまげたものでした。

そのグループを主宰されていたのが、ばばよしあきさんで、関西コミティアの東京出張販売コーナーというところで、「この道を歩む/私の漫画活動」という回想録が販売されていたので、購入することにしました。
1000円。

f0151647_14220602.jpg

読んでみて、昔のマンガ同人誌の世界だけでなく、昔の読者とマンガ家の交流のありかたなどが伺え、今とは違ったところがあるようで、私は懐かしく思うところがありましたが、若い人からしてみては、へえ~!そんなのだったのかと、興味がわくところがあるかなと思ってみたりしました。

昔のマンガ雑誌には、作者の住所が掲載されていて、近所にいたから会いに行ったというような回想録を目にしますし、石森章太郎さんのトキワ荘時代の少女マンガにファンの少女が訪ねてくるエピソードのものがありますが、そんなこともあったのでしょう。

ばばよしあきさんは大阪時代の水島新司さんを訪ねたり、東京でも、突然に、ちばてつやさんや、さいとう・たかをさんを訪ねたりされていますが、通信手段としては郵便と電話のみで、留守番電話もない時代、たまたま会えれば良いなという具合で、突然に来られたほうも、来客は突然に来るのが自然な時代で、鷹揚な態度で接しておられる様子が伺えました。

私自身、兄の住まいの近所に永井豪さんのダイナミック・プロがあって、兄が調べてくれた電話番号に、ダイナミック・プロの前の公衆電話から電話をして、「大阪から来ました」と言ったら、来てくださいとの御返事をいただき、いきなりやって来たのにもかかわらず、応接室のほうに永井豪さんが出てこられて、持参した自作のマンガを見てくださったことがありました。

中学を卒業した春休みのことで、ひとりで突然にやってきた少年に、よく親切に対応してくださったなと思います。
マネージャーをされていたお兄さんたちも、とても優しくて、仕事部屋を見学させてくださいもしました。

ばはよしあきさんは、東京の日の丸文庫に行き、水島新司さんに会い、その時、松森正さんが持ち込みをしていて、その場に、みやわき心太郎さんがおられたと回想もされていますが、貸本マンガの世界のことにも、よく触れられています。

山本まさはるさんと矢代まさこさんを訪ねられたことや、みなもと太郎さんが、矢代まさこさんの貸本マンガの「ようこシリーズ」を全巻揃えておられたことなども書かれています。

f0151647_14234274.jpg

というところまでを、6月3日に書いて、下書き保存をしたままになっていました。
長くなりそうで、少しずつ書き足して行こうと思い、そのままになっていました。

ステレオ写真(立体写真)撮影に没頭して、広告会社勤務をしていましたが、その会社が廃業をし、お金のかかる写真の趣味を続けることができなくなりました。

マンガには、昔に熱中していましたが、すっかり熱も冷め、関心もなくなっていました。

パソコンでインターネットに接続するようになり、あれこれと見ているうちに、古いマンガの愛好家の集う「誘蛾灯は引き出しの中」というサイトの掲示板と出会い、そこに書き込むようになりました。

若い人たちが、古いマンガに出会い、そのマンガについて語り合っているのですが、私は、その古いマンガに、現役の子供として接していて、当時はそのマンガは世間ではこう思われていたようですよというようなことを掲示板に書き込んでいくようになりました。

そして、その掲示板を、自分のブログの発表の場として使わせてもらうようになりました。

その後、ミクシィの日記や、このブログとなって継続していくのですが、気分は、その掲示板当時のままで、若い人たちに自分の思い出話を語るという姿勢のままになっていますね。

私が馴染んでいた、昔のマンガ同好会の世界が描かれた本が発行されていました、こんな感じだったんですよ~と、「誘蛾灯は引き出しの中」の掲示板で、お勧めしたくなるのが、「この道を歩む/私の漫画活動」で、その紹介なので、若い人宛の書きかたが強くなってきた次第です。

f0151647_14250255.jpg

ばばよしあきさんは、東大阪市在住で、作画グループというマンガ同人会を始められ、雑誌「COM」で企画された「ぐら・こん」というマンガ愛好家の全国組織の初代の関西支部長をされていました。

私は小学生の高学年で発行された「COM」を、創刊号から購入していて、「ぐら・こん」のそうした活動に興味を抱き、資料請求をしたりもしていました。

豊中市の喫茶店で、大阪在住のマンガ家の山上たつひこさんと淀川さんぽさんがゲストに来られる集会があるとの謄写版刷りのハガキが届きましたが、中学生で、豊中は遠く感じ、また、参加者は高校生以上のようにも思え、気おくれして行かなかったことがありました。

ばばよしあきさんとは、私が中学生の頃は、高校を卒業していたぐらいの年齢差があり、のちにマンガ同人会で知り合った川崎ゆきおさんや屋我平勇さんたちと同年代だと思います。

「ぐら・こん」の関西支部の集会が、新阪急ホテルで開催され、なんだか、会が紛糾したという思い出が書かれていましたが、川崎ゆきおさんから、ばばよしあきさんがいた集会で、揉め事があったというような思い出話を聴いたことがありましたが、その日のことでしょうね。

うろ覚えなのですが、当時、川崎ゆきおさんの御名前が、「ぐら・こん」の兵庫支部長として載っているのを見た記憶があります。

2代目の関西支部長になったのが、中室よしひろさんで、20数年ぶりに、「あれもやりたい これもやりたい」(浪速社)を発行された中室さんと再会されたことが書かれていますが、「あれもやりたい これもやりたい」には、川崎ゆきおさんのマンガに登場されている北中久雄さん、淀川さんぽさんたちによる座談会が掲載されていました。

中室よしひろさんと淀川さんぽさんの先祖の墓が同じ場所にあるということで、一緒に墓参りに行くレポートが掲載されてもいました。

淀川さんぽさんの奥さんの作・演出の芝居を観に行ったら、淀川さんぽさんと中室よしひろさんが出演されていました。

川崎ゆきおさんから、中室よしひろさんが「棒読みのトモキ」と呼ばれていると聴いた記憶があります。

「週刊少年マガジン」に見開き2ページで、読者からの情報告知のページがあり、私は中学生の頃だと思うのですが、中室さんが高校生の頃なのかな、智紀よしひろというペンネームでオフセット印刷の同人誌を発行されたことが載っていて、「LIFE」という同人誌を送ってもらったことがありましたが、素人がこんな印刷物を出せるのかと感心したものでした。

ばばよしあきさんの作画グループが発行された「ぐるーぷ」にも、マンガ同人会が、こんな新書判コミックスの単行本を出せるのかと驚かされました。

印刷をされたのが東考社で、私も国分寺にあった東考社まで、マンガ原稿用紙を買いに行ったことがありました。
当時、市販はされていませんでしたが、東考社で販売されていました。

社長の桜井昌一さんは不在で、奥さんが対応してくださいましたが、桜井さんの回想録「ぼくは劇画の仕掛人だった」に、大阪の日の丸文庫のふたりの女性社員のうちの美人ではないほうと書かれていたかたですが、親切に対応してくださいました。

朝ドラ「ゲゲゲの女房」に東考社のおふたりがモデルとして登場していましたが、奥さんはキツイ性格に描かれていて、そんなぁ~と思ったものでした。

梅田の阪急ファイブにあった駸々堂書店には、マンガ同人誌を扱っているコーナーがあり、大友出版が発行しているマンガ原稿用紙も置かれていました。

薄い青色で方眼状に印刷された文字ページ用の原稿用紙も販売されていて、これが重宝なものでしたが、見かけなくなり、生野区の大友出版まで買いに行ったら、製造を中止しましたと、社長の、うわだよしのりさんが対応してくださいました。

うわだよしのりさんは、作画グループの会員だったかたでもあり、大阪集会に参加されているのを見たりもしていました。

大友出版は、マンガ同人誌専門の印刷会社の創始者的な存在でしたが、独自に単行本の発行も企画されていたようで、その中に、1コママンガ家の篠原ユキオさんもおられるようでした。

「週刊少年キング」に連載された「ガッツ200連勝」(天馬おさむ)が、大友出版から新書判コミックとして発行されたのを購入しましたが、うわだよしのりさんの判断で「ガッツ200勝」と改題、ばばよしあきさんが、「200連勝」と「200勝」とでは意味が違ってくると不満を述べておられますが、「少年キング」の連勝中にも読んでいましたが、気がつきませんでした。

3ヶ月に1度ぐらい、東大阪で、作画グループの大阪集会が開催され、それに行くのが楽しみでしたが、その集会で、天馬おさむさんと話をさせてもらったこともありました。

天馬おさむさんは女性のかたで、「少年キング」の担当編集者だった坂本益造さんと、後に結婚されたと知りました。

あべのアポロビルに、文字通りの掲示板コーナーがあり、インターネットのなかった時代、そこの貼り紙で、劇団員募集やバンドメンバー募集、マンガ同人会の会員募集をされていて、堺の女子高校生の福本さんというかたの絵がうまく、手紙を出して、同人誌に参加したことがありました。

福本さんは「少年キング」編集部に、それを送ったらしく、掲載された私のマンガを見た坂本益造さんから、編集部まで来てくださいとの手紙が届き、その後、何度か、坂本さんに自作のマンガを見てもらいに、編集部を訪ねたことがありました。

私の結果は出ませんでしたが、福本さんは、庄司陽子さんのアシスタントになり、新人賞の大賞を受賞されたりしていました。

f0151647_14265606.jpg

雑誌「COM」が「COMコミックス」と改題し変貌した号に、届いた順にボツなしで印刷されるという、当時、画期的だった、マンガとイラストの同人会「サークル広場」の会員募集が載っていて、高校生の時に入会しました。

「週刊少年マガジン」の見開き2ページの情報告知で、「第1回・日本漫画大会」が開催されることを知り、参加することにして、「サークル広場」から参加されるかたがいませんか?と林会長に問い合わせると、中島昌利さんが参加されるとのことで、中島さんは大会スタッフで、新宿の石森プロ(幼年誌用の「仮面ライダー」を制作されている石森プロの別館のような存在だったでしょうか)が運営スタッフの本部になっているとのことで、大会前日から、そこに宿泊させてもらうことになりました。

前日の深夜、アニメ上映用の特殊なレンズを借りに手塚プロと、展示用の生原稿を松本零士さん宅に借りに行くのに、大会委員長の青柳誠さんが連れて行ってくださり、深夜にふたりで、そこをまわりました。

玄関に出てこられた、ワラジをはいた松本零士さんが、生原稿を手渡して、「青柳くんなら信用できるから」と言っておられました。

青柳さんから年齢を尋ねられて「16歳」と応えると、「若いなぁ!自分は24歳です」と言っておられました。

翌朝、新宿の石森プロから、会場に向かいましたが、若かりし頃の吾妻ひでおさんと、吾妻作品に登場するキャラクターのモデルのかたがたも同行しました。

印刷物のマンガ同人誌は、わずかに発行されているしかなく、マンガの生原稿を綴じた肉筆回覧誌の時代で、漫画大会の会場では、それらの肉筆回覧誌が紐に結わえられてテーブルに置いて閲覧できる場所がありました。
コミケ以前の時代です。

大会の終了後、大学生だった中島昌利さん宅に宿泊をさせていただきました。

翌日、中島昌利さんが、「少年ジャンプ」「少年キング」「少年チャンピオン」編集部に持ち込みをされるのに同行させてくださいました。

予約とか入館許可証とか、そんな固いことを言わない時代のことです。
新社屋を建てる前、「少年キング」の少年画報社と対面して「少年チャンピオン」の秋田書店があった時代です。

のちに、私は「少年キング」「少年サンデー」「少年マガジン」編集部に持ち込みをしたので、少年週刊誌の主要5誌の編集部に、すべて足を運んだことになります。

中島昌利さんは、のちに、月刊誌「冒険王」の「仮面ライダーV3」(山田ゴロ)のアシスタントをされていて、ショッカーに殺害された人物名簿の中に私の名前を書いてくださり、近所に住む小学生の従兄弟が、たまたま、それを見て、驚いていたということがありました。

ばばよしあきさんのこの回想録を読んで謎がとけたことがありました。

私が高校生の平日の夕方、週に1度、中・高校生向きの関西テレビの生放送番組がありました。

西川きよしさんの司会で、今は、ラジオの、おばはんキャラクターの桜井一枝さんが女子大生時代でレポーターをされていた番組があり、視聴者からのマンガ作品の募集があり、紙芝居のように入選作のマンガが映されていました。

選者として「少年ジャンプ」の初代編集長の長野規(ただす)さんが出演されていました。

何ページぐらいのマンガとして募集はされるのですが、発表されるのは紙芝居状態、入選者は、いつも見る人ばかりという感じがあったのですが、明日の放送に間に合うように、マンガを描く女性を紹介してほしいとテレビ局から頼まれた男から、ばばさんが連絡を受け、女性が一晩で紙芝居を描きあけるというエピソードがありました。
そのような依頼があって、入選作は生まれていたのですね。

その「少年ジャンプ」の初代編集者の長野規さんとは好みが合うようなところがあり、「少年ジャンプ」も後とは違って地味なマンガが多く、私の投稿作、15ページのギャグマンガ「ボール買い占め」が、月刊誌「別冊少年ジャンプ」に、高校3年生の秋に掲載されたことがありました。

高校の隣のクラスの山本くんからの電話で載っていることを知り、編集部からは何の連絡もありませんでしたが、そんなものだったのかなと不思議な気もします。

作画グループでは、新書判コミックスの単行本が何冊か刊行されて、その中に、ばばよしあきさん(まぜき伸吾)、聖悠紀さん、みなもと太郎さんの3作品収録のものがあって、山本くんは、会費を集めて、特定の人間のマンガだけを印刷するのはおかしい!と憤慨しながら言っていましたが、私は、まぁ、そんなこともあるだろう程度に、気にはなりませんでした。

あと、山本くんから誘われて、山本くんの友人たちと4人で同人誌を作ろうという話になり、私が、誌名として、「4漫knight(しまんないっ)」を考え却下されるというところまでしか進行しませんでしたが、そのうちのひとりが、「ジュンマンガ」に関係されていた西上ハルオさんの事務所に入り、奈良ドリームランドのイベントで似顔絵描きをするということを聴いたことがありましたが、その時のことなのかな、ばばよしあきさんとみなもと太郎さんも参加され、ばばさんもマンガ教室というイベントで絵を描かれたそうです。

「ジュンマンガ」を主宰されていた酒井七馬さんと、この時、お会いされているそうです。

「ぐるーぷ」の創刊号に、友人の「少年マガジン」の新人賞に応募して落選したマンガを掲載したくて、「少年マガジン」編集部に赴き、当時は、応募原稿は返却されなくて、頼み込み、倉庫で、その応募原稿を探すエピソードがありました。

のちに、「週刊少年マガジン」では、作画グループのメンバーによる合作マンガ「アキラ・ミオ大漂流」が連載されますが、その中に、「作画グループのメンバーにしかわからないギャグ、超人ヒッチ」という場面がありました。

聖悠紀さんの「超人ロック」は、作画グループの肉筆回覧誌に収録され、会員間のみを、郵送で読まれていました。
マンガ家の萩尾望都さんが、それを読みたくて、ばばよしあきさん宅を訪れたこともあるそうです。

何週か後の「週刊少年マガジン」の「キッカイくん」(永井豪)に、孫悟空のキャラクターが登場し、「モリテ、モリテ」と他のキャラクターから囃し立てられ、「モリテは、ダイナミック・プロにしかわからないギャグ」という場面がありました。

「第1回・日本漫画大会」で、運営スタッフの中で宿泊させてもらった際、どなたかが、「青柳誠さんがモリテです」と言っておられましたが、理由までは聴きませんでした。

作画グループの合作マンガは、掲載誌を変えて継続され、「少年キング」では、作画グループの特集とともに載りました。
その合作する作業場として、マンガ家の花村えい子さんが別荘を貸してくれたそうで、そのマンガレポートを中島昌利さんが描いておられたそうです。

作画グループの主要メンバーの沢田ユキオさんの入選作品を、マンガ家の貝塚ひろしさんが発行されていた「まんがマニア」や「少年ジャンプ」でよく拝見していて、自分のマンガが「別冊少年ジャンプ」に掲載された際、大阪集会にいつも来られていて話したこともあるので、感想を聴いてみたくなりましたが、ウレシガリのようでもあり、持参しないことにしました。

東大阪の集会の場所には、自宅から1時間ほどかかるのですが、集会自体は4時間ほどあり、沢田ユキオさんの姿を見て、やはり見てもらいたくなり、退出し、家に「別冊少年ジャンプ」を取りに戻り、再び、集会場所に行きましたが、到着した時には、沢田ユキオさんは帰られましたよとのことでした。

その次の集会には、持参し、「ボール買い占め」を見ていただきましたが、「これは、ギャグマンガではなくて、ストーリーマンガだなぁ」と、おっしゃっていました。
沢田ユキオさんはギャグマンガを専門に描かれていました。

このページなんか、ストーリーマンガだといわれてみれば、そうだなと思いますね。↓

f0151647_14365304.jpg

f0151647_14401917.jpg

「別冊少年ジャンプ」に「ボール買い占め」が掲載された際、ばばよしあきさんに電話をかけて報告してみましたが、「見ましたよ。頑張っているなぁと思った」と言っておられました。

その後、集会でお会いした際に、編集部からは何も言ってこないので、自分から次から次と描いていかないとダメですよという助言を、ばばさんからいただきましたが、次から次へと描いてはいけませんでした。

ばばよしあきさんのこの回想録に、大阪集会の終了後、8人から20人ほどが、近くの自宅にやってくることがあったと書かれていましたが、私も、1度、伺ったことがありました。

その後、ばばよしあきさんは東京に転居されましたが、編集者となられたようで、そのあたりのことは、この回想録で知ることとなりました。

板橋区立産業会館で「第1回・作画グループ総会」というのが開催され、合宿込みで参加したことがありました。
大広間で、みなもと太郎さんがサインをされていたのを眺めていた記憶があります。

帰りは、有志が夜行バスで大阪に帰りましたが、隣の席には、作画グループの女性会員が座っていて、就寝中の身体があたってきました。
後日、長居公園をデートしました。

その総会の際、東京の作画グループの本部に寄り、大阪の植松さんと塚本さんと私が、1冊ずつ、肉筆回覧誌の編集をしたいと、作品を選び、大阪に戻ってから、植松さん宅に集い編集や造本の作業をしました。

東京でも、そのように編集作業をされていたようで、肉筆回覧誌に掲載された(会誌に印刷されることを希望して投稿したわけですが)、私の「クリスマス・ツリー」を本部で見た、松原ふみ子さんと槇田妙子さんという女性から、あの少年の絵を描いて送ってくださいという手紙をいただき、描いて送ったことがありました。

東京での総会の際、松原さんと挨拶をさせてもらいましたが、私は人見知りが激しく愛想がなくて申し訳なかったと思います。

サークル広場で、私が高校生の時、中学生だった有野陽一さんと交流を持っていましたが、有野さんは大学生になったあたりで作画グループに入られて、後に評論家や原作者になる大塚英志さんと松原さんと槇田さんの4人でギャグマンガの合作をして、「なかま」という会報に掲載されているのを見かけました。

作画グループの会報に掲載されていた聖悠紀さんの「まんがスパルタ学院」が小学館の雑誌「マンガくん」の別冊付録になる際、作画グループの会員に配布するため、600部を小学館に、ばばさんは要求されたそうで、それだけの会員数、500人ほどがいたようです。

阪急ファイブの駸々堂書店からは、作画グループ発行の単行本「GROUP」を、毎号、500冊の注文があったそうです。

「お元気ですか?」と会誌には、いつも、ばばよしあきさんのボールペンの直筆のコメントが書かれていましたが、パソコンのない時代、宛名など、直接記入の時代、たいへんだったことでしょう。

「クリスマス・ツリー」を投稿した際、ハガキで、「少女の脚が開きすぎだと思います。」というコメントをくださいました。

「クリスマス・ツリー」は、全ページ、このブログに載せています。

●マンガ「クリスマス・ツリー」
https://hitcity.exblog.jp/12545214/

この少女の脚が開きすぎというわけですね。↓
たしかに、そんな気もしますね。

f0151647_09062644.jpg

「第1回・日本漫画大会」に参加した際、あとで会誌を発行するということで、運営スタッフのかた(青柳誠だったのかな)から、文章を依頼され、送り、それが掲載されたことがありました。

翌年の「第2回・日本漫画大会」に参加した際、ばばよしあきさんから、それについてのレポートを文章で依頼され、作画グループの会報に載せてもらいました。

第1回はスタッフ側で参加し楽しかったものの、第2回は一般参加で物足りなく、つまらなかったようなことを書きました。

「第2回・日本漫画大会」から、後に出た会誌には、その作画グループの私の文章を見たらしく、それに対しての反論が書かれていたように記憶しています。

ばばよしあきさんと青柳誠さんが、長く交流を持っておられたことを、この回想録で知りました。

デザイン会社勤務時代、帰宅後、毎日1冊、司馬遼太郎さんの小説の文庫本を読了し、50冊近くまで続けたことがありました。

1作品、たとえば幕末物を読むと、あとは主人公違いで、慣れ親しんだ世界の小説の印象があり、読みやすくなります。

そして、ここで、坂本龍馬さんと高杉晋作さんは、このようにして出会っていたのかと、作品ごとの楽しみが生じてきます。

この「この道を歩む/私の漫画活動」は、たとえば、ばばよしあきさんが坂本龍馬さん、青柳誠さんが高杉晋作さんというような印象を持って私は読むことができました。

しかも、私は、それぞれに、わずかでも関わりがあったことがあり、坂本龍馬さん(武田鉄矢さんにあらず)の海援隊に所属していたこともあるのだと、そうした面白みを感じることのできる回想録でした。

思い出すまま、とりとめもない書きかたになってしまいましたが、一応、私の関わりかたも記録してみたくなり、書いてみました。

あと、「COM」が、1号だけ復活して発行されたことがあり、集会で、ばばよしあきさんが、みやわき心太郎さんの「あたたかい朝」が載っただけで価値があると言っておられたことが、私も気に入っているマンガだったので、嬉しく思ったことがありました。
貸本マンガのリメイクだということを、ばばさんは言っておられましたが、それも拝見したい気がしますね。

ばばよしあきさんは、2年前の6月にお亡くなりになられたそうです。
出会えてよかった人です。

f0151647_14434651.jpg

「この道を歩む/私の漫画活動」
著者 ばばよしあき
編集 田中フキコ belne
発行日 2018年5月5日
発行 作画グループ〈仲間の会〉SG企画



# by hitcity | 2018-07-01 15:03 | Comments(2)
映画「極道ペテン師」
f0151647_15263728.jpg

●6月14日・木曜日の休日

日曜日と火曜日が、勤務が休みのシフトですが、6月12日の火曜日は仕事量の都合で出勤となり、14日の木曜日が代休となりました。

「シネ・ヌーヴォ名画発掘シリーズ」という、「シネ・ヌーヴォ20thプロジェクト」から生まれた観たい映画のリクエスト特集の第1弾があり、そういうリクエスト募集をされていたことは知りませんでしたが、その結果の17本の上映が、6月2日から7月6日まで、日替わりの2本立てで上映されています。

f0151647_15402627.jpg

シネ・ヌーヴォでは、この時期、午前中に、「大映男優祭」の2本立て、午後に、「シネ・ヌーヴォ名画発掘シリーズ」の2本立ての上映をされています。

f0151647_15331898.gif

「シネ・ヌーヴォ名画発掘シリーズ」のスケジュール表を見ていて、6月12日の火曜日の休みの、午後4時40分からの「極道ペテン師」を観に行くつもりにしていました。

その日が出勤となり、15日の木曜日の休みになりましたが、その日のスケジュールでは、「極道ペテン師」は、午後2時50分からの上映で、翌日の午前1時30分に起床して勤務に出かける身としては、早めに帰宅したくて、早い開始時間になったので、ありがたい。

1969年の日活映画で、シネ・ヌーヴォのホームページやチラシでは、この映画について、次のように紹介されています。

【大阪釜ヶ崎を根城とするサギ師集団が、お寺の住職や新興宗教、果ては大臣まで次から次と騙して大活躍。バカバカしくも奇妙な手口で現代社会の歪んだ世相や権威を次々とひっぺがえす痛快とペーソスにあふれた人情喜劇。原作は野坂昭如『ゲリラの群れ』。サギやペテン師の題材は大阪がよく似合う???】

この前、シネ・ヌーヴォには、「大映男優祭」の「瘋癲老人日記」を観に行き、この日は「極道ペテン師」という昔の映画を観に行くわけで、新作映画も観たい映画がたまる感じがあり、新作を観に行くべきかという気が、チラッとしたりもしないわけではありませんが、「万引き家族」と「極道ペテン師」と、タイトルを並べてみると、どう考えてみても、「極道ペテン師」のほうが面白そうな気がしてきます。

検索してみたら、当初、「喜劇 ゲリラの群れ」だったそうで、野坂昭如さんのその小説のことは知らず、そのタイトルだったら、観に行く気はしなかったでしょうね。

f0151647_15433221.jpg

いつも、映画を観に行く際は、ギリギリになってしまいますが、ナンバまで南海電車で、そこから阪神なんば線で九条駅へ向かうので、ナンバで、やよい軒で食事をしようと思い、空腹であったので、早めに家を出ました。

映画は午後2時50分からで、やよい軒で、注文の、から揚げ定食がテーブルにやってきたのは、午後1時25分なので、かなり余裕があります。

マヨネーズが乗っている小皿がなくて、置き忘れたのかと思い、店員に尋ねようかと思いましたが、経費節減のためかも?と思い、黙っていましたが、から揚げの乗っている大皿に乗っていたので、ほっとする。

小皿に乗っていた時よりは、マヨネーズの量は減っている感じはしました。

まぁ、マヨネーズがなくても、から揚げは食べることができ、それが本来の姿かもと思わないこともないです。

f0151647_15465954.jpg

阪神なんば線のナンバ駅のプラットホームに立ち、尼崎方面行きの電車を待つ。

午後2時なので、2駅先の駅で下車し、徒歩5分ほどのところに向かうが、あと50分もあるので、余裕である。

尼崎方面で人身事故があったという放送が流れる。

近くにいた駅員に尋ねると、いま出た電車までは通常どおりにやってきたけれど、次の2時6分の電車は、20分ほど遅れて来ますとのこと。

それに乗っても上映時間には間に合うけれど、確かかどうかわからないし、地下鉄で向かうことにする。

200円を払い戻してもらって、地下鉄・御堂筋線のナンバ駅へ。
本町駅で中央線に乗り換え、九条駅に到着は、午後2時25分。

f0151647_15283833.jpg

シネ・ヌーヴォに到着は、午後2時35分。

f0151647_15294152.jpg

いつもは、上映時間のギリギリに到着していますが、この日は、上映開始時間の10分前には到着していて、その場合は、整理券を手渡される。

久しぶりに、シネ・ヌーヴォの整理券を手にしましたが、23番で、私のあとに、3名ほどの男性がいたように思います。

番号を呼ばれた順に中に入って行く。
自由席で、4列目ぐらいの中央に座ったのかな。
小さな映画館で、観客が30人ほどもいたら、賑わった感じがします。

f0151647_15313997.jpg

フランキー堺さん、伴淳三郎さん、大辻司郎さん、南俊明さん、世志凡太さんたちが、仲間として、詐欺を働く物語。

子供の頃、映画やテレビで馴染んでいた喜劇人のかたがたと言ってもいいですね。

大辻司郎さんは、テレビドラマ化された「ハレンチ学園」で、ヒゲゴジラをされていましたね。

加藤武さんと殿山泰司さんが、作戦に加わるエピソードもあります。

殿山泰司さんの「JAMJAM日記」を読んで親近感を抱き、「三文役者あなあきい伝」なども読んでみましたが、それ以降、映画を観ていて、殿山泰司さんが登場すると、嬉しくなってきました。

「JAMJAM日記」でも、映画の撮影に1日だけ参加などというのが、よく書かれていたように思いますが、ひとつの場面に登場するだけということがあり、主演もされているかたですが、こんな通行人みたいな役だけ?と不思議な気分になることがあります。

映画に少しだけの出演というのは、竹中直人さんや神戸浩さんも多い気がしますが、殿山泰司さんのように、これだけ?ということはあまりないような気もします。

「砂の器」では、通天閣の商店街で、ひと言しゃべるだけでしたし、「帰ってきたヨッパライ」や「愛のコリーダ」では、セリフが、ほとんどなかったような気がします。

区役所の役人で、ひと言だけのセリフで、坊屋三郎さんが出演されていて、江戸っ子という印象のあるかたですが、大阪弁が上手いなと思いました。

関西出身のかたは、ほとんどいないと思うのですが、皆さん、気にならない大阪弁をしゃべっておられました。

大阪の俳優としては、曽我廼家明蝶さんが、騙される坊さん役で出演されていましたが、私が小学生時代、映画やテレビによく出演されていて、近所に住んでいる役者と聴いて、気になる存在でした。

当時、「明蝶芸能学校」とかをされていて、そういうものの先駆的な存在ではなかったのかなと思います。

そうして、登場人物が多く賑やかなのですが、特にキャラクターとしての描きわけがされているような気がせず、もっと、それぞれの人物のバックボーン(思想・信条などの背景にあり、それを成り立たせている考えかた。精神的支柱)を明確にしてほしかったなという思いがありました。

フランキー堺さんが、戦時中のことを回想する場面があり、原作の小説では、それぞれに、詳しく経歴なども紹介されているのでしょうが、映画では、何も知ることができませんでした。

伴淳三郎さんがストリップ劇場で裸になって踊る娘を客席で仲間たちと眺め、嘆き悲しむところが、唯一、キャラクターというものを感じさせてくれたような気がします。

f0151647_15323805.jpg

大阪市立中央図書館で借りている「谷崎潤一郎全集/第26巻」の「日記(一)昭和三十三年」に、【九月二十五日(木)雨[アタミに帰る]正午頃より駅前アロハ松竹にて赤い陣羽織と彼岸花を中途から中途まで見、ハトにて熱海に帰る。宮川氏亀末氏見送る】という谷崎潤一郎さんによる記述がありました。

昔は、新作の日本映画は、そのように2本立てで上映されていて、私も小学生のころ、家族と一緒に映画を観る際には、1本目の途中から観て、2本目は最初から終わりまで観て、続いて1本目の映画を途中まで観て、「ここは観たなぁ」とか言いながら、映画館を退出したものでした。

まわりのお客さんも、そうしていましたし、ミクシィの日記のコメント欄で、マンガ家の、みやわき心太郎さんとやりとりをさせてもらっていましたが、みやわきさんも、そのように、映画を観たところから観たところまで観ていたと書いてくださったことがあり、それが普通のことでした。

フランスでは上映途中から映画館には入ることができないとか、ヒッチコック監督は、映画の途中からの鑑賞を拒否するとか、そんなことを、こぼれ話という感じで、週刊誌に書かれていた記憶があります。
両親の購入する週刊誌に、小学生のころから目を通していました。

それで、私が子供のころに観ていた、特に喜劇映画は、どこから観ても楽しめるように作られていたような、いくつかのエピソードが並べられていたような構成だったような気がするのですが、この「極道ペテン師」も、そんな作りかたのように思えました。

女子大生の何かのクラブ活動の合宿先と主人公の宿泊先が同じで、主人公たちが、オウムに卑猥な言葉を覚えさせて、その女子大生に聞かせたり、女子大生たちの浴場での入浴シーンなども作られていましたが、全体のストーリーとは、まったく関わりのないものでした。

最新作の韓国映画が、次々と映画館で上映されるようになり、何作か観に行きましたが、エピソードが多く、どこから観てもいいような作りに感じられ、子供のころに観ていた日本の映画を観るような懐かしい印象を抱いたりもしていました。

インド映画も、そんな感じがありますね。

映画館で観る、独特な楽しさのようにも思えますね。

f0151647_15334562.jpg

1年をかけて、釜ヶ崎で、ロケ撮影をしたと、解説に書かれていましたが、それほどの感じはしませんでした。
数日で撮ったような、場面の少なさに感じたのですが。

大阪の環状線の柿色の車両の電車がよく映っていましたが、アパートの窓ごしに、その電車が映るところは、新今宮駅あたりかと思います。

阪堺電車(路面電車)の緑色の車両が走っていましたが、現在も、様々な色彩の車両に混じって、その緑色の車両も走っていて、今と全く違いのない景色のように思えました。

建設中の万博会場が映っていたりもしましたが、心斎橋など、なんだか、こういう景色のころもあったなと、懐かしく観ることもできました。

ちなみに、私が子供のころに馴染んでいた、ナンバや道頓堀の景色が映っている映画に、川島雄三監督作品「貸間あり」があります。

釜ヶ崎には、戦時中に、アメリカのB29戦闘機が落とした爆弾が、不発弾として埋まっていて、その不発弾がストーリーに絡んでくるのですが、山上たつひこさんのマンガ「喜劇新思想大系」の「時計仕掛けのまくわうり」の不発弾のエピソードの着想の元ではないのかな?という直感が働いてみたりもしました。
どうだか、わかりませんが。

f0151647_15352783.jpg

新聞に大蔵大臣の写真が載っていて、それがNHKの集金人役の殿山泰司さんにソックリ!

その大臣が、「ナントカ電化」(カタカナでなんとか、ナルヘソでもなかったような、なんか3文字だったような気がしますが、忘れてしまいました)に視察に向かうという新聞記事で、主人公たちは、殿山泰司さんを大臣に仕立てあげ、本人より先に電機会社に向かい、謝礼金をせしめるというエピソードがありました。

田んぼの中に、その工場を矢印で示す大きな看板が2ヶ所に立っています。

なんと、その看板は、雑誌の見開き2ページを拡大したような感じで、左半分に「ナントカ電化」と矢印と「東大阪工場」という文字があり、右半分に絵があるのですが、当時発行されていた月刊誌「COM」の和田誠さんの表紙の絵をそのまま使われていました。

検索してみて、1枚を見つけましたが、この絵が、そのまま使われていました。

f0151647_19331729.jpg

もう1枚を見つけることはできませんでしたが、手袋状になっている人形を手にはめている男性に向かって、その人形が、アッカンベをしているという絵で、それも「COM」の表紙を、そのまま使われていました。

当時の映画は、キャストやスタッフ名は、映画の冒頭のタイトルバックとして表れてきて、ひとつひとつ確認していましたが、和田誠さんの御名前なはなかったように思います。

タイトル画面は、江戸時代の女性が描かれた浮世絵の上に、ゴキブリが、3匹ほど這っているというものでした。

このことは、まったく知りませんでした。

和田誠さんは、何かに、このことを書かれているのかな?

映画自体は、面白いとも思えませんでしたが、和田誠さんの「COM」の表紙の絵が流用されているということは、「COM」好きの私にとっては嬉しいことで、観に来て良かったなと思いました

# by hitcity | 2018-06-27 17:31 | Comments(4)
   

高木ひとしのブログです。ツイッターもやっています(高木ひとし@ hithitcity )。連絡事項のあるかたは非公開チェックのうえコメント欄を利用していただくかツイッターでお願い致します。
by hitcity
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
> 最新のトラックバック
出会い幸せな情報
from 出会い恋愛日記
一生食べるな!
from Anything Story
MW(ムウ) (1) (..
from 尼村商会本館
菊坂ホテル (シリーズ昭..
from 忍者大好きいななさむ書房
> ライフログ
> 検索
> ファン
> ブログジャンル