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> メモ帳
> 「太陽の塔」内部公開「70年万博収集資料展」
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●4月3日の火曜日の休日

午前3時から正午までの勤務で、午前1時30分に起きる毎日で、休日も同じように、その時間に目が醒める。

日曜日に録画していた読売テレビの「そこまで言って委員会」、橋下徹、舛添要一、若狭勝の各氏がゲスト出演しているのを観たりする。

午前3時頃から、1コマ漫画誌「EYEMASK」の原稿、1コマ漫画、3点、3ページ、ホワイト修正、スクリーントーン貼りをする。

午前4時50分頃になって、近所のセブンイレブンまで、縮小コピーをとりに行き、それを原稿とする。
編集発行人の野谷真治さん宛に手紙を書き同封する。

袋麺の日清ラ王(味噌ラーメン)を食べる。

午前9時30分に家を出ようとしていたが、スマートフォンの充電ができていなくて、午前9時50分頃、充電が80%になったところで家を出て、住吉大社の鳥居前の郵便局のポストに、「EYEMASK」の原稿を入れたレターパック・ライトの封筒を入れる。

南海電車の住吉大社駅を午前10時ちょうど発の電車に乗り、ナンバまで。
210円。

いつもは電車の中で、スマートフォンでツイッターを見たり、このブログの文字入力(それを一時保存)したりするのだけれど、写真を撮りまくるつもりなので、電力を消費しないように、本を読むことにする。

新潮新書の「笑福亭鶴瓶論」(戸部田誠)を最初から。

地下鉄・御堂筋線のナンバ駅で午前10時18分の電車に乗り、終点の千里中央駅に到着したのは、午前10時50分。
420円。

千里中央駅で何か食べるつもりでいたが、万博記念公園駅の待ち合わせ時間は、午前11時15分で、余裕がない。
ローソンで、おにぎりセットとお茶を購入し、モノレールに乗る。

千里中央駅から、午前11時5分のモノレールに乗って、2駅目が、万博記念公園駅。
250円。

改札を出て、でじまるさんと会ったのは、午前11時13分。

でじまるさんは、地下鉄・堺筋線で、山田駅からモノレールに乗ったそうで、山田駅の手前が千里中央駅。

1時間ほど前に、山田駅に着き、ショッピングセンターをうろついておられたらしい。

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万博記念公園には、桜の木が多く植えられていて、その下の芝生に花見客が賑わっている。

ステレオ写真(立体写真)撮影に熱中していた頃、マンガを描いている若い女性が主宰している写真サークルに入っていたことがあり、そのグループで、万博記念公園で花見をしたことがありました。若い女性が多かった。

でじまるさんと屋我平勇さんとは、関西ステレオ写真同好会や大阪手作りカメラ倶楽部に一緒に参加していて、なんらかの集会で会ったり、写真撮影会に行ったり、ひんぱんに会っていました。

でじまるさんのコスプレ関係の知り合いの女性にモデルになってもらって、万博記念公園の中で撮影会をしたこともありました。

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1月に、テレビ番組「ちちんぷいぷい」で、太陽の塔の内部公開の受付が始まったことを知りました。

スマートフォンで、予約の専用のサイトを見てみました。

内部公開は、3月19日から始まりますが、土曜・日曜の予約は、何ヵ月かの、かなり先まで埋まっていましたが、平日は、3月は埋まっているものの、4月からは、あいています。

勤務が日曜と火曜が休みなので、一番早い火曜日の予約をすることにしました。

4月3日の火曜日で、時間は、30分ごとで、午後1時や2時は予約が埋まっていましたが、正午の分はあいていました。

代表者ひとりの名前で、6名まで予約をとることができるので、でじまるさんと屋我さんの分と、3名の予約をしました。
おふたりは、平日の都合がつきますし。

その時は、春休みだということに思い至りませんでしたが、モノレールに乗ってみて、子供たちが多く賑わっていて、春休みなんだなと実感しました。

予約をした1月に、このブログに、太陽の塔の内部公開の予約3人分をとったことは書いていましたが、でじまるさんに、待ち合わせ場所についての電話連絡をしたのは、5日前になってからです。

屋我さんには、何度、電話をかけても、呼び出すものの返答はなく、でじまるさんに頼んでみても、同じことのようでした。

ブログにそのことを書いたら、屋我さんと同じく、「月刊漫画ガロ」や「漫画雑誌 架空」にマンガを発表されている、まどの一哉さんが、ツイッターのダイレクトメールで、屋我さんに伝えてくださったようですが、屋我さんからの連絡はありませんでした。

でじまるさんと2人で行くことになるかと思いましたが、当日の朝の7時57分に、屋我さんに電話をかけると、留守番電話になっていたので、「万博記念公園駅に午前11時15分に来てください」と吹き込んでみました。

そろそろ出かけようと思っていた午前9時36分、いま目が醒めたところだという屋我さんから、まどのさんからのメールも届いていて、何事なのかと電話があり、太陽の塔の内部公開に今から行くと説明、屋我さんは、行けたら行くとのことで、待ち合わせの時間に電話をかけると伝えました。

午前11時15分に、屋我さんに電話をかけると、モノレールに乗って向かっているとのこと。

太陽の塔の裏側に20分前に来るようにとホームページに書いてあると、でじまるさんから聴いたので、そこまで来てくださいと伝えました。

太陽の塔の裏側で、おにぎりセットを食べました。

屋我さんがやって来られ、受付に着いたのは、午前11時45分。

20分前にというのは、万博公園の入園料250円とは別に、太陽の塔の内部見学料700円が必要で、受付で、予約をして入手したQRコードをスマートフォンの画面で提示、申し込み者の私が身分証明書(運転免許証)を提示し、確認ののち、チケット販売となる手間が必要だからですが、30分ごとに20人の参加のようで、並ぶこともなく、すぐに済み、間に合いました。

申し込み者の入館券には、「入館時刻 12時00分から12時30分まで」と印字されて、太陽の塔の内部の写真が印刷されていますが、同伴者の入館券は、白地に太陽の塔のロゴの入ったシオリのようなものでした。

太陽の塔に入る前の待機する場所に、万博の開催時に、太陽の塔のあった、お祭り広場の地下に広がるスペースに展示されていた中から、いくつかのオブジェが、まとめて置かれていました。

万博には、3回行きましたが、太陽の塔の内部に入らなかったのは、その地下のスペースを見てまわるのに時間がかかるという噂を聴き、敬遠したという、ボンヤリとした記憶があります。

太陽の塔の内部を見学してみて、その地下の広大なスペースをまわったあと、やっと、クライマックスに達したというか、連載マンガの最終回にたどりついたという感慨があったのだろうなぁ~と、当時の人々の気持ちを想像してみました。

太陽の塔の右腕の内部には、非常階段が続き、左腕の内部には、現在は鉄骨しかありませんが、左腕の先からの脱出に向かうエスカレーターがあったそうです。

お祭り広場に立っていた太陽の塔の胸あたりに2層になった屋根があり、その下の層(天井裏の感じ)に、太陽の塔の腕の先がつながっていて、人々は、そこから出ていったわけですが、解放感があったことでしょう。

腕の長さは20メートルだそうですが、右腕の非常階段を歩く体験もしてみたいなと思いましたが、往復することは考えてはおられず、独り分の幅しかなく、20人の参加者で往復する体験は、時間がいくらかかるかわからず、無理な話ですね。

20人を前半10人、後半10人と、ざっと分けて、若い女性ふたり、若い男性ひとりが、各地で、説明をしてくれます。

太陽の塔の内部には、1本の木がそびえ立っていて、その木には、33種類の生物のオブジェが乗ったり飾られたりしています。

万博当時は、いくつかの箇所が動いていたとのことで、その箇所を説明したパネルの展示もありました。

頭が動いたというゴリラ1体は、修復せずに、長い年月で傷んだままの姿を、内部の機械とともに見せていました。

かなりきつい傾斜の階段が、底辺から上部に向かって、いくつか延びていて、そこを歩いていきます。

階段の両サイドには透明ガラスがありますが、上から下を覗く際、平衡感覚がおかしくなり、怖く感じるところもありました。

万博当時は、この階段はエスカレーターだったそうで、現在、あべのHoopのエスカレーターは、両サイドが、ここの透明ガラスのようになっていますが、百貨店のエスカレーターのように、両サイド、何もないのが普通の時代ではなかったのかな?と、万博当時は、このガラスはなかったのですか?と、若い女性のスタッフに尋ねましたが、わからないとのことでした。

急な階段だけとなると、両サイド、ガラス張りにしないと危険きわまりないので、今回の内部公開のためにガラスを設置したのかなと思うのですが。

説明文のパネルなど、当時のものだそうで、懐かしいゴシック書体でした。

太陽の塔の内部には、昭和の懐かしい喫茶店の内部のような雰囲気を感じました。

左腕からの脱出はなく、螺旋階段ふうに降りていきました。
10階あたりから、1階ずつの表示がされていました。

下にたどりついたら、グッズ売場がありましたが、内部見学の予約をしていなくても、この売場には入ることができるようでした。

内部の存在するオブジェとは、太陽の塔は、楽しい存在だなと思いました。

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テントのような屋根のある広いフードコートがあって、そこで、ロングポテトフライやタコヤキを食べながら、3人で話をして過ごしました。

屋我さんから、「漫画雑誌 架空」の現・編集発行人の川勝徳重さんの父親が、太陽の塔の制作に関わっておられたと聴きました。
屋我さんは情報通だなと、しばしば、感心させられます。

1昨日の日曜日の休日に、九条のシネ・ヌーヴォで、原一男監督や出演者によるトークショーのある「ニッポン国vs泉南石綿村」を観に行ったと言うと、シネ・ヌーヴォによく行っておられる屋我さんが、「行ったんかいな」と言い、3月に何かを観に行った際、近くにある「座・九条」の前で、淀川さんぽさんの奥さんの神原くみ子さんと偶然に会い、そこで上演された、神原くみ子さんの作・演出の芝居を観た話になりました。

私が10代の頃に、屋我さんが所属していたマンガ同人会「もののけ」の会員募集を、「月刊漫画ガロ」に「猟奇王」などのマンガを発表されていた伊丹市在住の川崎ゆきおさんが、「ガロ」の読者のページでされて、その川崎さんの住所に手紙を書いて、川崎さんや屋我さんと会うことになりました。

マンガを描く人間以外に、川崎さんのファンからの連絡もあり、大阪駅前の、現在はヒルトンホテルがある場所にあった「喫茶オメガ」での雑談の会に発展していき、それで、マンガは描いておられない、でじまるさんも参加されるようになりました。

「月刊漫画ガロ」にマンガを発表されている川崎ゆきおさんや屋我平勇さんの先輩にあたる淀川さんぽさんと交流を持たれていたので、淀川さんぽさんも、その雑談の会に参加されるようになりました。

この日、屋我さんから、若い頃に、淀川さんぽさんの父親の紹介で、川崎さんと一緒にアルバイトをした話を伺いました。

「ガロ」の編集発行人の長井勝一さんの回想録「ガロ編集長」(ちくま文庫になっています)に、「ガロ」に投稿されて入選したマンガで最も完成度が高かったと、淀川さんぽさんについて書かれていました。

川崎さんや屋我さん、でじまるさんは、私より4~5歳、年上で、さんぽさんは、更にそこから3歳ほど上で、私は中学生時代に、「ガロ」で淀川さんぽさんの作品に触れていましたが、さんぽさんのマンガが、「少年サンデー」の増刊号に掲載されたのも見ていました。

淀川さんぽさんから、山上たつひこさんが「週刊少年マガジン」に連載されていた「光る風」の、便所の汲み取り口から脱出をはかる場面の背景を手伝ったと聴いたことがありましたが、山上たつひこさんが「週刊少年サンデー」に連載されていた「旅立て!ひらりん」の指名手配書の貼られた壁に、読めるか読めないかというような小さな書き文字で、「淀川さんぽは」云々と長文が落書きされているコマがありました。

朝日ソノラマ発行のサンコミックスの「旅立て!ひらりん」には、そのまま収録されていましたが、双葉社の「山上たつひこ選集」では、その落書きは削除されていました。

川崎ゆきおさんの初期のマンガの背景に小さく「淀川ちんぽ」と書かれているコマもあったと記憶しています。

天王寺の喫茶店のドアの絵をペンキで淀川さんぽさんが描いたという噂を聴き、高校生の頃、観に行ったこともありました。

月刊誌「美術手帖」で、劇画の特集があり、別冊付録に、平田弘史さんや淀川さんぽさんのマンガが掲載され、そのマンガに写真を粗い網掛けにする指定を多く使い、その製版代に、20万円かかったと、出版社から言われたと、さんぽさんから聴いたこともありました。

当時の20万円だとすると、高すぎるような気がして、10万円だったかなと思いもしますが、記憶では、そうなっています。

「ぴあ」より先に発行されていて、日本初のタウン情報誌と呼ばれている「プレイガイドジャーナル」の創刊号の表紙の絵も、淀川さんぽさんが描かれていましたが、それは、発行時には見ていませんでした。

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「ガロ」の川崎ゆきおさんの「漫画同人会もののけ」の募集を見て参加されたかたに、このブログにコメントをくださっている田中平吉さん、その正体は私と同年齢の松宮くんですが、松宮くんが「プレイガイドジャーナル」の編集部に4コマ漫画の持ち込みをした際、川崎ゆきおさんと知り合いだと言うと、住所を教えてほしいと言われ、教えたところ、川崎ゆきおさんの最初の単行本「猟奇王」が、プレイガイドジャーナル社から刊行されたと、松宮くんから聴いたこともありました。

松宮くんは、淀川さんぽさんから便利に使われていて、ミニコミ誌を発行すると言えば、タイトル文字のレタリングをされたりしていました。

淀川さんぽさんが、つげ義春さんのマンガ「枯野の宿」を8ミリフィルムによるアニメーション映画にするということで、松宮さんが、淀川さんぽさんの指示を受けて、講談社漫画文庫の「枯野の宿」の模写をしているのを、さんぽさん宅に見学しに行ったことがありますが、さんぽさんと松宮さんだけでは大変だなぁと思ったものですが、それは完成しなかったようです。

その「枯野の宿」のアニメ化の許可を得るために、さんぽさんが、手紙を、つげ義春さんに送るというので、自分が触れたものを、つげ義春さんも触れるのかと、その封筒をポストに入れさせてもらったこともありました。

淀川さんぽさんは、引っ越し祝いとして、置時計だったか柱時計だったかを、つげ義春さん宅に持って行ったとのことで、そのお礼の、つげ義春さんからの手紙を見せてもらったこともありました。

淀川さんぽさんは才能があるのだから、もっとマンガを描いてください、同じ関西には川崎ゆきおさんもいますね、というようなことが書かれていました。

「小説現代」に連載されて単行本化もされた「つげ義春日記」には、その日のことなのでしょう、淀川さんぽさんが来宅し、大きな声で芸術について熱弁をふるうので閉口した、というようなことが書かれていました。

「喫茶オメガ」で雑談の会をしていましたが、淀川さんぽさんが大きな声で独りで喋りまくるので、たまには静かに語り合おうと、さんぽさんには、その集まりのことを内緒にし、別の喫茶店、川崎ゆきおさんのマンガに登場する「喫茶プラネ」(現在は、まんだらけ大阪店のある阪急東通り商店街の入口、地下街の泉の広場をあがったあたりにありました)で集まることにしたという思い出話を、でじまるさんがされました。

「喫茶プラネ」の入口を淀川さんぽさんが入ってきて、「見つけたでぇ~、驚いたやろ」と言ったことを、はっきりと覚えておられるとのことですが、私は、そんなこともあったような気がするなぁ~程度の記憶しかありません。

なぜ、内緒にしていた、その「喫茶プラネ」での集会のことを、淀川さんぽさんが知ったのかが、長年の謎であったが、当時は、携帯電話もメールのない時代、例えば待ち合わせなどをしたあと、予定が変更になったりした際、家の固定電話にかけて、家族のかたに伝言を頼んだりしたものですが、誰かが、さんぽさんの母親に何か喋ったことから推理して、さんぽさんは、その集会のことを知り得たのだろうと、でじまるさんは言っておられました。

淀川さんぽさんと、日本のポルノ映画の3本立てを観に行ったことがありました。
うち1作が、佐藤まさあきさんのマンガ「堕靡泥の星」の実写化映画で、それを観るのが目当てでした。
鈴木則文監督の「堕靡泥の星・美少女狩り」です。

登場する肉体労働者が、いかにも佐藤まさあき作品のようだと、さんぽさんは言っておられました。

あと、天王寺野外音楽堂での、大がかりな焚き火や、生きている馬が登場する小劇団の芝居を一緒に観に行ったこともありました。

小劇団のメンバーが、プロの役者の男性から、演技の指導を受けるのを、さんぽさんと、さんぽさんの知り合い数人と私とで受けに行ったこともありました。

淀川さんぽさんが監督する8ミリフィルム映画の出演を頼まれて、梅田新道の歩道橋を女性と手をつないで走ったり、道頓堀の戎橋の上で、女性と抱擁をしたりしました。

多くの歌謡曲を付けたサイレント映画で、セリフはありませんでした。

「喫茶オメガ」で上映されましたが、数年後に、再編集をしたのを、さんぽさん宅で観せてもらいましたが、私が登場している場面は、すべてカットされていました。主演なのに。

まぁ、そのほうが、いいのですが(笑)。

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淀川さんぽさんの「ガロの時代」というマンガが、目録雑誌「まんだらけ」に連載されていたことがありました。
みやわき心太郎さんの「漫画熱」や辰巳ヨシヒロさんの「劇画漂流」より前の、目録雑誌「まんだらけ」の初期の号だったと思います。

「喫茶オメガ」での、この8ミリフィルム映画の上映会の日のことが描かれていましたが、私の出演した映画のことは、なかったことになっていました。

淀川さんぽさんの「ガロの時代」が連載されていた目録雑誌「まんだらけ」には、奥さんの神原くみ子さんの回想録が連載もされていました。

神原くみ子さんが、作・演出をされて、淀川さんぽさんが出演されている芝居を、扇町ミュージアムまで観に行ったことがありました。

なんばCITYホールというところで開催されていた「小演劇展」というイベントで、神原くみ子さんが、日本舞踊をされるのを観たこともありました。

淀川さんぼさんと御夫妻として、服部緑地で、大阪在住時代の、まどの一哉さんと会ったこともありましたが、神原くみ子さんと個人的にお話したことはありませんでした。

屋我さんが、「座・九条」で神原くみ子さんと偶然に会った際、20年ぶりだったそうですが、私は、それ以上に、おふたりにお会いしていないことになります。

万博記念公園の桜並木を遠目に眺めながら、昨年の3月に、お亡くなりになられた、淀川さんぽさんを偲ぶことになりました。

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フードコートでは、午後0時40分から午後1時55分まで話していました。

国立民族学資料館で、3月から5月に開催されている「70年万博収集資料展」の看板があり、屋我さんが、民族学博物館には前から行きたかったので、行こうと言われました。

でじまるさんも私も行く予定にはしていませんでしたが、ここまで観に来るとしたら大変ですし、太陽の塔の内部見学券の展示で、入場料が、420円が350円になるそうで、民俗学博物館は目の前に見えた場所にありますし、行ってみることにしました。

「70年万博収集資料展」の会場に向かおうとすると、屋我さんが行きたかったのは、無料の常設展のほうだということでしたが、常設展なら、いつでも行けるので、こちらのほうに行きたいと、頼んでみました。

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万博で公開するために、1年間に、世界中で収集した約2500点の民俗資料の中から、約650点が展示されています。

木製の農機具や楽器、衣服や、人形、仮面などが展示されていますが、収集スタッフからの手紙やパスポートなども展示されています。

謄写版刷りの、万博反対団体による声明文まで展示されていました。

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ひさうちみちおさん。泉谷しげるさん。

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「収集者によると、岡本太郎は、この像について、太平洋では昔から岡本太郎のマネをしていたんだな、と述べたとされる。」

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2階には、仮面ばかりが大量に展示されています。

「大(Oh!)水木しげる展」にも、こうした仮面を展示しているコーナーがありましたね。

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写真撮影禁止の展覧会では、展示物や説明文をできるだけ記憶しておこうと、鑑賞するのに時間がかかってしまいますが、写真撮影可能となると、あとで、それで確認すればいいと、そそくさと写真を撮ってまわりました。

ほとんど全部を写真撮影しました。

屋我さんは、これと決めた数点の前で、じっくりとカメラで撮影をされているようでした。

仮面のそれぞれに、タイトルが添えられていましたが、「霊」や「神」という文字が、ほとんどと言ってもいいような多さでした。

死者の霊を呼ぶ儀式の際などに付けられていた仮面なのでしょうか。

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でじまるさんや屋我さんより先に、2階の仮面展示の会場から出て、出口の手前のスペースに来ました。

タマゴ型の白い紙がたくさんと、鉛筆やクレパスなどがテーブルの上に置かれています。

壁には、来場者が、ここのテーブルで描かれた紙が、ズラリと展示されています。

見てみると、5枚や10枚、重ねられています。
かなりの数になりますね。

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私も、鉛筆で、そそくさと、数秒という感じで、顔の絵を描きました。
この写真の中央です。

裏には、メッセージを書くようになっていますが、そそくさと、面白かったですとのみ、無記名で書きました。

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でじまるさんが、近くまでやってきて、1枚の絵を手にして、裏面の文章を読み、「こういうことを書いている人がおるで」と、私に、その文章を見せました。

飼っていた黒トラ猫が亡くなり、寂しくて飼った黒猫も歳をとり、介護しているという文章が、黒猫の顔の絵の裏面に書かれていました。

私も長年、黒猫を飼っていて、その猫が、昨年の9月に亡くなり、この悲しみが、果たして、癒される日がくるのだろうか?と思い、長年、飼っていた2匹のウサギを亡くした経験を持つ、でじまるさんに、泣きながら、電話をかけて話したことがありました。

亡くなる前に、1週間ほど、黒猫の姿を見なくなり、不安になり、その時にも、でじまるさんに電話をし、色々とお話を伺いたいと、会うことになり、会う日には、猫は戻ってきていましたが、その際、屋我さんにも来てもらい、九条シカクという同人誌販売の店に一緒に行きました。

昨年の8月のことですが、今日、会うのは、それ以来のことです。
人と待ち合わせをするのも、私は、それ以来のことになりますね。

そんなことがあったので、でじまるさんは、私の立っている場所の近くに、黒猫の絵を見つけ、私に、それを見せようとしたのでした。

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書かれた人の名前を見たら、「神原くみ子」。

驚きました!

淀川さんぽさんの奥さんじゃないですか!

書かれた日付は、1昨日の日曜日です。

何かの抽選で大当たりをしたように興奮して、近くにいる女性のスタッフのかたに、「これだけある中で、1枚だけ、めくってみたら、知り合いが書いたものだったんですよ!」と言いました。

その女性は、「そんなことも、あるんですね~!」と言い、そのあと、同じ室内にいる男性のスタッフに、そのことを伝えておられました。

掲げられた、たくさんの絵を、何枚もめくっていき、名前を見ていくうちに、その中に知り合いがいることはあるかもしれませんが、1枚だけをめくってみたところ、知り合いだったということは、そうは、あることではないでしょう。

ミステリー小説だったら、私以外の人間が、私を驚かせようと組んでみたというトリックもありえるでしょう。

でじまるさんが、黒猫の絵を私に見せるという計画として、例えば、会場で、「ここに、こんなんがあるで~」と、私を呼ぶことになるでしょうが、私が、たまたま立っていた場所のそばに、その絵があり、たまたま、でじまるさんの目についたという自然な展開でした。

常設展に行くつもりの屋我さんに、こちらの企画展のほうを観たいと言ったのは私で、でじまるさんも屋我さんも、ここに行こうと言ってはいなかったので、計画されたものではありませんね。

それに、私を驚かせるために、そのような計画を立てても、何の得にもなりませんし。

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屋我さんもやって来られ、驚いておられました。

さっきまで冷静に写真を撮られていた屋我さんも、興奮気味に、神原くみ子さんの御名前の写真を撮っておられました。

表を向けて掲げられた絵は、写真撮影をしたものを、このブログに載せさせてもらってもいいかなとは思うものの、裏向けになっている個人的なことについて書かれた文章は載せるわけにはいかないでしょう。

でも、その御名前の部分をお見せしないことには、信じてもらえないような気もします。

スマートフォンでの写真の加工の方法も知らず、面倒なので、知ろうと思うこともなかったけれど、なんとか、御名前の部分だけ、お見せしたい。

それで、なんとか、検索してみた結果、スマートフォンの写真を、指でなぞれば、なぞったところが、ぼやけてくる無料アプリを入手しました。

淀川さんぽさんには、色々と教えてもらったものですが、そんなアプリがあるということを、また、教えてもらったような気がします。

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「70年万博収集資料展」の会場にいたのは、午後2時25分から午後3時30分の間でした。

万博記念公園を出る際に、スマートフォンの充電が切れてしまいました。
写真撮影ができず、スマートフォンで写真の時刻表示で確認することができませんが、家に着いたのは、午後5時30分あたりになっていたかもしれません。

逆方向の大阪空港方面へのモノレールに乗る屋我さんと、万博記念公園駅のホームで別れ、でじまるさんと私は次の山田駅で下車。
200円。行きより50円安い。

地下鉄・堺筋線の山田駅から天下茶屋方面に向かいます。
私は、恵美須町駅で下車。
往路のナンバ駅から千里中央駅までより30円高い450円。

でじまるさんは、次の動物園前駅で地下鉄を乗り換えて帰られたようです。

恵美須町駅から阪堺電車(路面電車)で帰宅。
210円。

淀川さんぽさんに内緒にしていたのに、「喫茶プラネ」の集会に、さんぽさんがやって来たときの、でじまるさんの思い出話を聴いていて、ボンヤリとした記憶しかありませんでしたが、「喫茶プラネ」に入ってきて、「見つけたでぇ~、驚いたやろ」と言っていた、淀川さんぽさんの、皆を睨みながら笑っていた表情が、はっきりと記憶に、帰りの電車の中で、よみがえってきました。

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by hitcity | 2018-04-07 20:22 | Comments(2)
Commented by 田中平吉之守忠義 at 2018-04-08 16:14 x
喫茶プラネは懐かしい!
あの時代(40年前)は永島慎二の漫画の世界のようでした。
本当に思い出が一杯です。
Commented by hitcity at 2018-04-08 22:22
楽しかったですね。インターネットの時代になって、永島慎二さんの「フーテン」やトキワ荘や劇画工房の世界から遠ざかったように思うことがあります。

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