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> メモ帳
> 赤塚不二夫さんの思い出             2008.8.3.
赤塚不二夫さんの思い出             2008.8.3._f0151647_20403631.jpg

昨夜、BS2で、久しぶりに、映画「生きる」を観たあと、
チャンネルを変えていたら(深夜0時前ごろ)、フジテレビの
女性アナウンサーが、赤塚不二夫さんの逝去を伝えていました。

黒澤明監督作品がお好きだった赤塚さんが、何かで、
石森章太郎さんと一緒に「生きる」を観に行ったことを
書いておられなかったかな?

赤塚不二夫作品には熱中して、赤塚さんが存在しなかったら、
SFのパラレルワールドもののように、現在のこの世界は、
まったく違ったものになっているように思う私は、
赤塚さんの訃報記事を入手するため、近所のコンビニに向かい、
置かれている「日刊スポーツ」「サンケイスポーツ」
「スポーツニッポン」「デイリースポーツ」を購入しました。

どの新聞も1ページから見開き2ページを使用して、
赤塚さんの訃報記事を載せていました。

昨日、なんばパークスシネマで、アニメ映画「スカイ・クロラ」の
舞台挨拶に、押井守監督と声優担当の菊池凛子さんと
加瀬亮さんが来られていたという小さな記事を見つけ、
知っていたら、行ったのに〜、と残念に思ったことも
付け加えさせていただきます。

どの新聞にも、ちばてつやさん、森田拳次さんなどの
同じ文面のコメントが掲載されていました。
アラーキーのコメントでは、映画「生きる」について
触れられていました。
赤塚不二夫さんの思い出             2008.8.3._f0151647_19501140.jpg

はじめの画像は、昔、百貨店のマンガ展で、原画が
ワゴンセールのようにして販売されていた時に
購入したものです。

当時は、マンガにプレミヤ価格などなくて、お安く
入手できました。

4分の1ページ(横長)で、チビ太とデカパンが
写植文字で会話をしているところも持っています
(どこかに仕舞いこんでいます〜)。

スキャナーで取り込んだ画像は大きめにしていますので、
携帯電話には対応していません。御了承、願います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

赤塚不二夫さんの作品では、「週刊少年マガジン」連載時、原寸大やら
下描き状態やら、いろいろと実験的なことをされていた頃の
「天才バカボン」、担当者が登場する楽屋オチ(当時は、画期的でした)
満載の「週刊少年サンデー」連載の「レッツラ!ゴン」に大爆笑し、
もっとも熱中していたように思いますが、赤塚不二夫さんが
お亡くなりになられた今、振り返ってみると、
子供の頃に月刊誌の「少年」や「まんが王」(「冒険王」?)で、
接していた「まかせて長太」「メチャクチャNo.1」の面白さが
懐かしく思えてきます。

曙出版で、新書判コミックスとして「赤塚不二夫全集」が
刊行された際、ほとんど揃えたと思いますが、そこではじめて
接した初期の「ナマちゃん」も好きでした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小学生の頃に発行された「シェーの自叙伝」は繰り返し読んだもの
でしたが、その中に、読者から「また、泣けるマンガを読ませて
ください」というお便りが届き、スタッフが笑ったという
エピソードが書かれていて、それは、「おそ松くん」で、
O・ヘンリーの小説「金庫破り」のパロディを、チビ太たちがする
回のことで、私も、そのマンガには泣けて、好きでした。

イヤミによる映画「街の灯」、デコッ八による映画「泥の河」
みたいな回があって、それも、しみじみとして好きでした。

いま、赤塚作品で、最も好きなマンガは何だったかと、あれこれ
思い出してみたところ、月刊誌「COM」に読み切りで掲載された
短編の「らくがき」に決まりました。

転校して来て孤独な小学生と、その少年が描いた落書きの少年との
交流を描いたマンガです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ナマで、赤塚さんを拝見したのは、JR京都駅にある伊勢丹百貨店で
赤塚不二夫さんの作品展が開催された際、駅構内の大階段を
客席にしての特設ステージで、日曜日に、タモリさんと
トークショーをされた時があります。

検索して調べてみたら、1998年8月16日のことでした。

のちに、藤子不二雄Aさんの作品展が開催された際、Aさんと
中川家のおふたりのトークショーも同じ場所で拝見しました。
この時の赤塚さんの展覧会は、同じ内容で、のちに、道頓堀の
キリンプラザ大阪でも開催されて、その時にも行ってみました。

このタモリさんとの対談の時は、入院中の病院から抜け出して
きたと、赤塚さんは、おっしゃっていました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

中学生の頃だったでしょうか、月刊誌の「少年ブック」で、
赤塚不二夫さんが総長の「マンガ大学院」という企画があって、それは、
毎月、課題を提出して、直筆で、コメントをいただくというもの
でした。

そのときも、まさか、赤塚さん御本人が添削指導しては、いるまい〜
と思っていましたが、そのことを、後年、掲示板などに書いたところ、
長谷邦夫さんから、学生アルバイトであったことを教えていただけ
ました。

あと、私と赤塚不二夫さんで、かかわりのあったことを言いますと、
私が、唯一、名前が冠となった賞に応募したことがあるのが、
赤塚不二夫さんのものであったことでしょうか。

このところ、ポツポツと部屋の整理作業をしていて、先日、その
発表ページのある「週刊少年ジャンプ」が出てきて、うまい具合に
手元にありますので(このブログを、ずっと、お読みのかたは、
珍しいことだと思われるでしょうね〜)、紹介させてもらうことに
します。

最終候補に残った8人のうち、2人が準入選、4人佳作入選と
なっていて、何もなしに残ったのが2人、うち1人は前回に
準入選していたかたで、もう1人が、私でした。

永井豪さんが、「選考外と思われる作品もいくつかあったが」
と書いておられますが、私のことでしょうね〜。
トホホ〜。

謹んで赤塚不二夫さんの御冥福をお祈りいたします。
赤塚不二夫さんの思い出             2008.8.3._f0151647_19504334.jpg

赤塚不二夫さんの思い出             2008.8.3._f0151647_19533513.jpg

by hitcity | 2008-08-03 19:56 | Comments(4)
Commented by 長谷邦夫 at 2008-08-03 21:06 x
お~、赤塚賞!
ぼくが、彼に代わって全ての候補作品を読んで、採点表に
点数とコメントを付けていました!
高木さんの作品も見ていたことになります。
Commented by hitcity at 2008-08-04 21:40
★長谷邦夫さん(前編)

その節は、お世話になり…、なっていたんですね〜。
自分の名前がついているのに、御本人が選考されないとは、さすが、赤塚不二夫さんですね〜。

手塚治虫さんがマンガファンの集いのトークショーで、新人賞に応募されて最終選考に残らない作品の中に優れた作品があって編集者に見落とされているのではないか〜? と、一度、出版社の倉庫に入って、予選通過しなかった投稿作を見せてもらったことがあると、おっしゃっていたことがありました。

これもまた、手塚治虫さんらしいエピソードですね。
初めてペンを持った子供が描いたような作品がほとんどで、見てみて納得できたとか、おっしゃっていました。
Commented by hitcity at 2008-08-04 21:40
★長谷邦夫さん(中編)

当時は、投稿作は返却されなくて、一発勝負のところがあって、どこに投稿するか、悩んだものでした。
「週刊少年ジャンプ」の初代編集長とは、なんとなく気が合う感じがあって、選んでいました。投稿した際、扱いをよくしてくださったような印象があります。次の中野佑介編集長とは気が合わない感じがあって、落選が続き、とうとう、ジャンプに送らなくなりました。

長谷邦夫さんの「マンガ編集者狂笑録」に、長野規さんの章があったので、嬉しくなりました。

その章の329ページに、「マガジン、サンデー、キング、チャンピオンという四誌のケツから追いかけるには、」とありましたが、チャンピオンよりジャンプのほうが先に出ていると思います。
私は、ジャンプもチャンピオンも、その当時、本屋で創刊号を購入しましたので、たしかなことだと思うのですが〜。
Commented by hitcity at 2008-08-04 21:41
★長谷邦夫さん(後編)

ところで、昨年、畑中純さんが、大阪の画廊で作品展を開催された際、以前は畑中さんの担当編集者だったという画廊主のかたと喋っておられるのを、横で聞いていたのですが、現在、畑中さんは大学でマンガを指導されているそうなのですが、新人賞の応募規程、ジャンプだけ、ギャグ物が15ページ、ストーリー物が31ページという中途半端なものだと生徒から聞いたけれど、他社に送らせないためかな〜?とか言っておられました。
そういう作戦上でのページ数の規定だったのでしょうか?

高木ひとしのブログです。ツイッターもやっています(高木ひとし@ hithitcity )。連絡事項のあるかたは非公開チェックのうえコメント欄を利用していただくかツイッターでお願い致します。
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