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コメント欄【新宿泥棒日記】
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【ひとつ前の枠に、松乃屋雪之丞さんからコメントをいただき、それに対しての返信です。】

大島渚監督の「新宿泥棒日記」については、横尾忠則さんが、外国人の友人が、どこかの国で上映されたのを観ていたら、あなたが出てきたので驚いたと書かれた手紙が届いたと何かに書かれていて、いつか観たいと思っていました。

雪之丞さんも私も、横尾忠則さん好きでもあり(なんばCITYホールでの横尾忠則さんと黒田征太郎さんと長友啓典さんのトークショーを一緒に拝見したという記憶があります)、日曜日の上映でもあり、雪之丞さんが引っ越しをされた住居から自転車で10分ほどだということなので、誘わせてもらった次第です。

7月29日の日曜日、午後0時10分の回。

雪之丞さんは、シネ・ヌーヴォには初めて来られたわけですが、「オメガみたいな感じやな」と言われてみて、なるほど、そうだなと思いました。

若い頃に川崎ゆきおさんたちと集っていた梅田の「喫茶オメガ」のような雰囲気をロビーなどに感じますね。

映画館で、やっと「新宿泥棒日記」を観る機会に出会えたわけですが、私も、なんだかワケのわからないところが多く、それについて考えようともせず、途中、ウトウトしたところもあり、面白いとは思えませんでした。

映画を観ながら、なんとか考えようとしていた若い頃に観ていたら、面白く感じるところがあったのだろうか?

横尾忠則さんと唐十郎さんが並んでいる場面なんて、横尾忠則さんの有名なポスター「腰巻きお仙」のコンビじゃないか!と、熱中していた頃なら、感激したかもしれません。

劇団状況劇場の芝居は、大阪での初上演(天王寺野外音楽堂)から、何年間も欠かさずに観に行っていましたが、つげ義春さんの奥さんの藤原マキさんは退団後でした。

この「新宿泥棒日記」には、状況劇場の芝居の場面が、たくさん登場し、映画の中で、藤原マキさんが、こんなに長い場面に出演されていたのかと、なんだか、意外な気さえしました。

そういうことは今までに知っていてもよかったのにと思い、意外な気がしたのでしょう。

私がナマで状況劇場で拝見する以前で、唐十郎さんと大久保鷹さんが、若いなぁ~と思いました。

藤原マキさんの状況劇場時代の姿と、横尾忠則さんの当時のスターぶりを拝見することができたのは、よかったなと思いました。

大島渚監督作品は、10作ぐらいしか観ていませんが、私が面白いと思ったのは、「愛のコリーダ」(リバイバル公開時には、藤竜也さんの舞台挨拶も拝見しました)と「御法度」、それに、白土三平さんの生原稿の魅力の「忍者武芸帳」ぐらいでしょうか。

VHSテープの映画が1本2万円近くした初期の頃、はじめて購入したのが、大島渚監督の「忍者武芸帳」でした。
子供の頃、父に頼んで映画館に連れて行ってもらい、観てもいました。

映画上映後、九条の商店街にある「やよい軒」で食事をしましたが、ここに「やよい軒」があるのなら、これからシネ・ヌーヴォに来る際、ラクになります。

昔ながらの喫茶店に入るのも、久しぶりのことで、こうした店もなかなかいいなと思いました。
「和光」という店です。

阪神なんば線でなら、九条駅から2駅目で下車、徒歩5分ほどに、ミニコミ誌などを販売している「シカク」があり、行きたいところでしたが、なんせ、右脚があの状態、痛くてビッコをひいていて、無理でした。

翌日の昨日、痛みながらも勤務していましたが、今日の火曜日の休日は、近所の整形外科病院に行ってみました。

リハビリ(温熱治療やマッサージ)を受けましたが、これから火曜日の休日に通うことになりそうです。

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「新宿泥棒日記」は、特集「ATG大全集」のうちの1本としての上映でした。

シネ・ヌーヴォのロビーには、何作かのATG作品のポスターが掲げられていて、「津軽じょんがら節」のポスターの絵を描かれている斎藤真一さんの絵が雪之丞さんがお好きだとのことで、昔、雪之丞さんから画集を見せていただいた記憶があります。

私は、公開時に、「津軽じょんがら節」は観に行っていました。

上村一夫さん、川本コオさん、高信太郎さん、山松ゆうきちさんが出演されていました。

上映スケジュール的に観に行くことができませんが、面白い映画だし、動く山松ゆうきちさんを見る機会など、そうはないと思えるので、値打ちがあると思います。

by hitcity | 2018-07-31 19:03 | Comments(1)
PANTA釜ヶ崎三角公園【前編】
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暑くて勤務がしんどくて、帰宅後、何もする気が起こらず、しばらく、このブログを休ませてもらうことにしましたが、昨年、2017年4月10日の月曜日、釜ヶ崎の三角公園で開催されたPANTAさんのコンサートの写真を、その間、見ていただくことにしました。

このブログに3枠にわたって載せるつもりで、写真は、下書き保存に、この状態で置いておきましたが、文章を詳しく書こうと思っているうちに、月日が経ってしまいました。

昨年の4月は、土曜と月曜が勤務が休みで、翌日の火曜は午前1時半に起床で勤務に向かう、そんな中でしたが、午後6時すぎからの45分間のコンサートを楽しませていただきました。

PANTAさんのステージは、心斎橋ビッグキャットで、鈴木慶一さんとのコンビによる「PKO」のステージ、服部緑地野外音楽堂の「春一番コンサート」のソロのステージ(この時には「慶一を誘えばよかったな」とかPANTAさんが言っておられました)を拝見したことがあります。

いずれも複数の出演者のうちのおひとりとして登場されていました。

実写映画「カムイ外伝」に、謎の絵師として出演されているのも観ました。

釜ヶ崎の三角公園のこの時のステージでは、「頭脳警察」の頃の曲を歌われました。

「時代はサーカスの象にのって」(作詞/寺山修司・高取英)や「さようなら世界夫人よ」(作詞/ヘルマン・ヘッセ)などです。

関西のライブハウスで行われているコンサートの、間の1日があいたので歌わせてほしいと、PANTAさんから電話があったと、開演前に挨拶をされた、PANTAさんとは50年来の友人というかたが言っておられました。

ツイッターで、このコンサートのことは知ったのだったと思います。

カンパ箱には、1000円を入れさせてもらいました。
こんなに楽しませてもらってと、ありがたく思いました。

終演後、御夫婦がPANTAさんと並んでいるところを、そのかたのスマートフォンで私が撮影、別の男性が、私とPANTAさんとのツーショット写真を、私のスマートフォンで撮ってくださいました。

PANTAさんは、私に、「またねっ!」と言ってくださいました。

映画「菊とギロチン」のサイン会で、主演女優の木竜麻生さんとのツーショット写真をスタッフのかたに撮っていただき、このブログに載せましたが、あまりに自分が爺さんに映っているように見えて、モザイク加工をしました。

木竜麻生さんは若い娘さんで、並ぶと、自分の爺さんぶりが強調されることになったのでしょう。

PANTAさんは、私より歳上で、あまり気にならなかったので、その写真は加工なしで載せることにしました。

写真の数が多いので、【前編】【中編】【後編】と、3分割して載せることにしましたので、続けて御覧になってください。↓

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by hitcity | 2018-07-21 18:10 | Comments(2)
PANTA釜ヶ崎三角公園【中編】
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by hitcity | 2018-07-21 18:08 | Comments(0)
PANTA釜ヶ崎三角公園【後編】
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by hitcity | 2018-07-21 18:05 | Comments(0)
映画「菊とギロチン」のサイン会
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7月8日の日曜日に、テアトル梅田で、映画「菊とギロチン」の瀬々敬久監督と木竜麻生さんの舞台挨拶を観たことをブログで紹介、引き続いて、おふたりのサイン会におもむいたことは後日に、というままになっていました。

下書き保存で、写真の用意はしたところまではいっていたのですが。

午前3時(月曜は午前2時)から正午までの勤務のところ、このところ、午後1時までの残業の日も多く、暑い中、重量のあるものを持ち上げ積み重ねる作業の多い肉体労働で、クタクタになっています。

帰宅時は、自転車で、40分ほど走るのですが、仕事の関係からか脚の膝に痛みも感じるし、炎天下の中、暑くてたまらず、今日(7月18日の水曜日)なんか、途中で、無事に家にたどりつけるのか?と不安になったりするほどでしたが、なんとか家にたどり着けたという感じです。

帰宅後は、横になって、ボンヤリとテレビを眺めています。

しんどくて、ブログの文章を書く気が起きません。

しばらくブログを休ませてもらおうと思います。

「菊とギロチン」のサイン会の時の写真のみ、今回は紹介させていただきます。

サイン会では、おふたりに握手をしていただきました。

映画自体は、3時間は長すぎると感じる、しんどい映画でした。

火曜日の休日は、整形外科医院に行って、脚を診てもらったり、脚に電気をあててもらったりしましたが(3度行きました)、あとは、できるだけ、家で、じっとしていることにしています。

7月14日の土曜日、シネ・ヌーヴォへ、ラジニカーント様主演のインド映画「リンガー」は観に行きました。

3時間を堪能し楽しめた映画でした。
やっぱり、インド映画は、ラジニ様に限る!という実感がありました。

今週の金曜日(7月20日)までですので、お勧めしておきたいと思います。

私の描いた1コママンガが掲載されている1コママンガ誌「EYEMASK」の新しい号(56号)も届き、それについても書いてみたいのですが、ここでは、出たという告知だけをさせていただきます。

それでは、また。

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by hitcity | 2018-07-18 19:46 | Comments(0)
映画「菊とギロチン」の舞台挨拶
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●7月8日・日曜日の休日

午前9時3分、南海電車の最寄り駅の住吉大社駅から普通電車に乗って(急行は初詣の期間しか停まりません)、ナンバ駅へ。

地下鉄・御堂筋線に乗り換えて梅田駅へ。

茶屋町のロフトの地階にあるテアトル梅田に着いたのは、午前9時45分。

インターネットでチケットを購入した人間は、届いたメールのQRコードを発券する機械にかざしたり、暗証番号を入力したりしなくてはいけなくて、長い列ができていて、皆が入場したのは、午前10時の上映開始時間ギリギリになったと思う。

予告編はなく上映開始。
3時間9分の映画。

午後1時5分に、瀬々敬久(ぜぜ たかひさ)監督と木竜麻生(きりゅう まい)さんが、舞台挨拶に登場。

写真撮影可能で、拡散してくださいとのこと。

25分間の舞台挨拶。
質疑応答コーナーでは、3人が監督に、1人が木竜麻生さんに質問。

このあと、ロビーで、映画のパンフレットや木竜麻生さんの写真集などへのサイン会があるとのこと。

トイレに行ったあとにパンフレットを購入してみたら、サイン会の長い列ができていた。

テアトル梅田は、2館が入っているミニシアターで、大きい96席のほうで上映。

到着した際、当日券がありますと、スタッフが言っていて、当日券を買っているお客さんもいましたが、満席での上映だったとは思います。
私は前から2列目に座っていて、後ろは見なかったので、どうだったかわかりませんが。

サイン会に並ぶため、ほとんどの人がパンフレットを購入していたと思います。

1冊1000円で、90冊とすると、90000円の売り上げとなりますね。

もし、サイン会がなければ、パンフレットを購入しなかったと思います。
サイン会は、あなどれませんね。

写真の数が多くなりすぎるので、今回のブログでは、舞台挨拶の写真を。

サイン会については、後日ということにさせてもらいます。

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by hitcity | 2018-07-10 14:58 | Comments(3)
映画「バーフバリ 王の凱旋/完全版」
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●6月16日・土曜日

午前3時から正午までの勤務を終え帰宅。

先週の9日の土曜日も、正午に勤務を終え帰宅して、そのあと、なんばパークスシネマへ、午後3時前から上映の「バーフバリ 王の凱旋/完全版」を観に行こうとしたが、間に合いそうになく、シネ・リーブル梅田で、午後4時過ぎからの「MIFUNE:THE LAST SAMURAI」を観に行くことに変更をした。

同じなんばパークスシネマで、先週は午後3時前からの上映だったのが、今週は午後4時前からの上映に変更になっていて、間に合いそうなので、観に行くことにしました。

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南海電車の始発駅のナンバ駅に隣接してある、なんばパークスの中に、なんばパークスシネマはあります。

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どこの映画館に行っても、置かれているチラシは、すべて貰って帰ることにしていて、雑誌1冊分ぐらいの重量に感じることがあります。

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4月1日の日曜日、シネ・ヌーヴォで、原一男監督と出演者のかたがたとのトークショー付きの「ニッポン国VS泉南石綿村」を観に行った際、上映終了後、ロビーに行列ができていて、次の映画の入場待ちをされていたのですが、今まで、シネ・ヌーヴォで見たことのないような人の多さ、シネ・ヌーヴォで見たことのないような熱気を感じる若い男女たち。

「バーフバリ」というインド映画の第1作と第2作を続けて上映で、この日は、毎月1日の映画サービスデーで、2本立てで、割引料金となると、値打ちがあるなと思う。

インド映画は好きで、何作か観に行っているが、スーパースター☆ラジニカーントさんの出演作に比べると、そうでない映画には物足りなさを感じ、結局、自分は、インド映画よりも、ラジニ様が気に入っていたのかと、ラジニカーント出演作以外は観に行かないようになりました。

「バーフバリ」の存在も、なんとなく知っていましたが、日頃、足を運ばないテアトル梅田などミニシアターでの上映で、気にもせずに過ごしていました。

「バーフバリ 王の凱旋」の「完全版」なるものが、ミニシアターではないシネコンまで進出して公開されることを知り、気にはなってきました。

もともと気になっていた映画が、削除されていた26分間の場面が復帰し完全版として上映されることになったとのこと。

ギターデュオ「ゴンチチ」のチチ松村さんのツイッターの書き込みを、誰かがリツイートされているのを見ましたが、チチ松村さんが、シネ・ヌーヴォで「バーフバリ」の2回目を鑑賞したが面白かった!と書いておられ、2度観て面白いのなら、確かに面白いのだろうなと、観に行く気持ちになりました。

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「バーフバリ伝説誕生」と「バーフバリ王の凱旋」の2部作で、「王の凱旋」は、後編にあたるようです。

映画の冒頭に1作目の「伝説誕生」のダイジェスト映像が流れます。

検索をしてみて出てきた、次のタイトルの動画が、そのダイジェスト映像のように思えました。

【インド映画『バーフバリ』完結編を見る前に5分でわかる前作ダイジェスト映像】

う~ん、これでは、よくは、わからないなぁ~。

解説によると、親子3代にわたる物語とのこと。

親子3代にわたる面白い小説としては、「富士に立つ影」がありますね。

小林信彦さんが、「小説世界のロビンソン」という著書の中で、まぁ、こんなに面白い小説は他にないだろうというぐらいの力説ぶりで紹介されていた小説で、文庫本で10冊になるようですが、その3冊分ぐらいを、「白井喬二集」として刊行されたものを古本で読んだことがありました。

当時は文庫本で刊行はされていなかったのかな?
そのまま読まないままになっていましたが、文庫本の「ちくま日本文学全集」の「白井喬二集」として、「富士に立つ影」の全10冊の文庫本の物語を要約して全1冊の文庫本として刊行されたことがありました。

ちくま文庫のその「白井喬二集」を読もうかなと、ちらっと思ったこともありましたが、今回、「バーフバリ伝説誕生」のダイジェスト映像を観て、それで読まなくてよかったなと思いました。

やはり、「バーフバリ伝説誕生」そのものを観ないことには、その面白さは味わえないですね。

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よくはわからないまま物語は進行していきますが、場面、場面は、迫力があり、約3時間を、退屈に思うことなく、楽しく過ごすことができました。

巨大な刃が3枚、扇風機のようにまわる装置のついた戦車が登場するのを観て、山田風太郎さんの小説「銀河忍法帖」に登場する戦車と、まったく同じだ!と、似ているなぁ~と思いましたが、よく考えてみると、「銀河忍法帖」は小説で読んだので、その戦車を見たわけでもなかったです。
こんなこともあるのですねぇ~。

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詳しい物語の紹介があるかもと、パンフレットを購入しようかと、売店の価格表を見てみると、「バーフバリ王の凱旋」720円とあり、買いかけましたが、「バーフバリ王の凱旋/完全版」のものがあり、1000円とのこと。
結局、あらすじを読んでみたところで、どうにもなるまいと思うことにして、買いませんでした。

検索してみたら、「バーフバリ」の監督の前作は、「マッキー」とのこと。
ええ~、あの映画の監督なのか。

●映画「マッキー」 2013-11-02
https://hitcity.exblog.jp/20747219/

に、それを観た日のことを書いていますが、是枝裕和監督のカンヌ映画祭で賞をとった「そして父になる」を観に行こうかと思ったが、同監督の「誰も知らない」には気が滅入ったので、観に行かないことにしたと書いていました。

じつは、カンヌ映画祭で賞をとった 是枝監督の「万引き家族」も同様の理由で観に行く気がおこらず、人は変わらないなぁ~と思いました。

是枝監督の「空気人形」と「奇跡」は、楽しむことのできる映画でしたが。

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「マッキー」は、殺された男性が輪廻転生、ハエに生まれ変わり恋人を守るというインド映画で、ムーンライダーズの「僕はスーパーフライ」(作詞・作曲/鈴木慶一)を連想するところがあり、この曲が好きなので観に行こうと思ったものでした。

♪素敵な人の家のまわり
ウロウロするリアリティー
それが 恋 恋 でも心は
とてもロンリー

僕は蠅になって君の
家のまわりグルグルまわる
僕は蠅になって君の
まわりグルグルまわる

その人の名前さえ知らない
ということのリアリティー
それが 愛 愛 だから心は
いつもロンリー

僕は蠅になって君の
家のまわりグルグルまわる
僕は蠅になって君の
まわりグルグルまわる

Super fly, super fly, super fly,
大きな部屋に(君は夢の中)
そっと忍び込んで(僕は部屋の中)
白い壁にはりついて

君に伝えたい 僕がここに居るって事を
君に伝えたい 僕がここに居るって事を

僕は蠅になって君の
家のまわりグルグルまわる
僕は蠅になって君の
まわりグルグルまわる

僕は君のまわりグルグル
まわるグル グル グルまわる
まわるまわる・・・・・・♪


TOHOシネマズなんばの別館のほうで上映されていたようですね。
大人気の「バーフバリ」を観に来た人間で、「マッキー」を観ている人間が、果たして何人いるかな?と思ってみたりもしました。

私には、「バーフバリ」より「マッキー」のほうが面白かったです。
大スペクタクル映画より、こじんまりした映画のほうが好みですね。

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この写真は、6月23日の土曜日に、シネ・ヌーヴォへ、「黒蜥蜴」の大映版(京マチ子)と松竹版(丸山明宏)を観に行った時に撮りました。

ラジニカーント閣下(ラジニ様とも閣下とも呼ばれています)が主演の「リンガー」が、シネ・ヌーヴォで公開されます。

7月7日の土曜日の午後0時30分から、紙吹雪、鳴り物、声援、踊りOKのマサラ上映があり、7月14日の土曜日の午後3時15分からは応援上映がありとのこと。

勤務からの帰宅後、その時間にシネ・ヌーヴォに到着するのは難しいので、上映期間中の自分の休みの日に観に行くつもりにしていましたが、7月10日の火曜日が休日出勤になり、代休が14日の土曜日にとれたので、応援上映の回に行くつもりにしています。

インド映画のマサラ上映は、動物園前シネフェスタとシネマート心斎橋で経験がありますが、応援上映というのは、どのような感じなのかな。

昨日、7月4日の水曜日、テレビの「ちちんぷいぷい」を観ていたら、「菊とギロチン」という映画が紹介されていて、監督と主演女優がインタビューに応えていました。

検索してみたら、「関東大震災後の大正時代末期を舞台に、当時実在した女相撲の力士たちとアナキストたちがもし出会っていたらというフィクションを描く」と書かれていました。

検索して、キャスト名を見てみたら、実在の人物の役が多いようで、大杉栄、正力松太郎、甘粕五郎という名前がありました。

検索してみたら、テアトル梅田で上映され、今度の8日の日曜日、午前10時からの上映のあと、監督と主演女優の舞台挨拶があるとのこと。

インターネットで、今日5日の木曜日の午前0時から、チケット販売とのこと。

午前1時30分に起床して勤務に向かう準備のところ、午前0時30分に目が醒め、テアトル梅田のホームページを見てみたら、96席のミニシアターで、座席表でチケットが売れた席が10席ほど。

主演女優は新人で、自分の知らない人ですが、かわいかったし、いずれ、朝ドラのヒロインになることがあるかもしれず、今のうちにナマで見ておこうという気になり、スマートフォンで、チケット購入の手続きをしました。

瀬々敬久監督と木竜麻生さんの舞台挨拶です。

「ちちんぷいぷい」では、三國連太郎さんの孫で佐藤浩市さんの息子でもあるかたが、この映画でデビューされたとも言っていました。

by hitcity | 2018-07-05 21:14 | Comments(0)
「この道を歩む/私の漫画活動」(ばばよしあき)
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5月20日の日曜日に、松乃屋雪之丞さんと、大阪南港のインデックス大阪の関西コミティアに行ってきました。

同人誌の即売会です。

松乃屋雪之丞さんとは、「月刊漫画ガロ」誌上での伊丹市在住の川崎ゆきおさんの「漫画同人会もののけ」の会員募集を見て、宛先として書かれていた川崎さんの住所に手紙を送り、やがて、喫茶店で、そうした人達の集まりがあった際に、初めて対面しました。

インターネットなどが存在しない時代で、人々は、そうした雑誌での文通希望や会員募集の宛先に手紙を送り、現在のツイッターでのやりとりのようなことをしていました。

我々が10代のころは、マンガ同人誌を専門に印刷するところなどなく、関西コミティアのようなイベントはありませんでした。

当時は、自分の描いたマンガが印刷をされるということは、雑誌の似顔絵コーナーや、1コマ漫画募集などに作品を投稿して、選ばれたら載るということしか方法はないと言ってもよかったと思えます。

少年マンガ雑誌の新人賞募集などに投稿する際にも、多くの人は、プロの生活を目指すよりも、まず、なんとか印刷されて、セリフが活字(写植)になっているのを見たいなという気持ちが大きかったのではないでしょうか。

我々が10代の頃のマンガ同人誌活動は、マンガの生原稿を閉じて肉筆回覧誌を作り、それを会員間で郵送をしてまわすというのが、通常でした。
添えられたノートに感想や批評を書いて同封して回します。

その感想をまとめたものは、謄写版印刷で会誌を作り配布したりすることもありました。

謄写版印刷機や、湿式の簡易コピー機(青色のコピー)は所有していましたが、コンビニも存在していなくて、コピーをとろうとすると、写真屋で粉をふく感熱紙でコピーをとってもらうしかないようでした。

印刷物のマンガ同人誌など簡単に作ることはできず、高校時代、隣のクラスにマンガの肉筆回覧誌を作っていた山本くんがいて、一度、山本くんと一緒に印刷会社に費用を聞きに行き、応接室で社員のかたに「甘くはないですよ」と言われたことがありました。

そんな中、オフセット印刷の単行本としてマンガ同人誌を発行するグループが出現して、たまげたものでした。

そのグループを主宰されていたのが、ばばよしあきさんで、関西コミティアの東京出張販売コーナーというところで、「この道を歩む/私の漫画活動」という回想録が販売されていたので、購入することにしました。
1000円。

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読んでみて、昔のマンガ同人誌の世界だけでなく、昔の読者とマンガ家の交流のありかたなどが伺え、今とは違ったところがあるようで、私は懐かしく思うところがありましたが、若い人からしてみては、へえ~!そんなのだったのかと、興味がわくところがあるかなと思ってみたりしました。

昔のマンガ雑誌には、作者の住所が掲載されていて、近所にいたから会いに行ったというような回想録を目にしますし、石森章太郎さんのトキワ荘時代の少女マンガにファンの少女が訪ねてくるエピソードのものがありますが、そんなこともあったのでしょう。

ばばよしあきさんは大阪時代の水島新司さんを訪ねたり、東京でも、突然に、ちばてつやさんや、さいとう・たかをさんを訪ねたりされていますが、通信手段としては郵便と電話のみで、留守番電話もない時代、たまたま会えれば良いなという具合で、突然に来られたほうも、来客は突然に来るのが自然な時代で、鷹揚な態度で接しておられる様子が伺えました。

私自身、兄の住まいの近所に永井豪さんのダイナミック・プロがあって、兄が調べてくれた電話番号に、ダイナミック・プロの前の公衆電話から電話をして、「大阪から来ました」と言ったら、来てくださいとの御返事をいただき、いきなりやって来たのにもかかわらず、応接室のほうに永井豪さんが出てこられて、持参した自作のマンガを見てくださったことがありました。

中学を卒業した春休みのことで、ひとりで突然にやってきた少年に、よく親切に対応してくださったなと思います。
マネージャーをされていたお兄さんたちも、とても優しくて、仕事部屋を見学させてくださいもしました。

ばはよしあきさんは、東京の日の丸文庫に行き、水島新司さんに会い、その時、松森正さんが持ち込みをしていて、その場に、みやわき心太郎さんがおられたと回想もされていますが、貸本マンガの世界のことにも、よく触れられています。

山本まさはるさんと矢代まさこさんを訪ねられたことや、みなもと太郎さんが、矢代まさこさんの貸本マンガの「ようこシリーズ」を全巻揃えておられたことなども書かれています。

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というところまでを、6月3日に書いて、下書き保存をしたままになっていました。
長くなりそうで、少しずつ書き足して行こうと思い、そのままになっていました。

ステレオ写真(立体写真)撮影に没頭して、広告会社勤務をしていましたが、その会社が廃業をし、お金のかかる写真の趣味を続けることができなくなりました。

マンガには、昔に熱中していましたが、すっかり熱も冷め、関心もなくなっていました。

パソコンでインターネットに接続するようになり、あれこれと見ているうちに、古いマンガの愛好家の集う「誘蛾灯は引き出しの中」というサイトの掲示板と出会い、そこに書き込むようになりました。

若い人たちが、古いマンガに出会い、そのマンガについて語り合っているのですが、私は、その古いマンガに、現役の子供として接していて、当時はそのマンガは世間ではこう思われていたようですよというようなことを掲示板に書き込んでいくようになりました。

そして、その掲示板を、自分のブログの発表の場として使わせてもらうようになりました。

その後、ミクシィの日記や、このブログとなって継続していくのですが、気分は、その掲示板当時のままで、若い人たちに自分の思い出話を語るという姿勢のままになっていますね。

私が馴染んでいた、昔のマンガ同好会の世界が描かれた本が発行されていました、こんな感じだったんですよ~と、「誘蛾灯は引き出しの中」の掲示板で、お勧めしたくなるのが、「この道を歩む/私の漫画活動」で、その紹介なので、若い人宛の書きかたが強くなってきた次第です。

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ばばよしあきさんは、東大阪市在住で、作画グループというマンガ同人会を始められ、雑誌「COM」で企画された「ぐら・こん」というマンガ愛好家の全国組織の初代の関西支部長をされていました。

私は小学生の高学年で発行された「COM」を、創刊号から購入していて、「ぐら・こん」のそうした活動に興味を抱き、資料請求をしたりもしていました。

豊中市の喫茶店で、大阪在住のマンガ家の山上たつひこさんと淀川さんぽさんがゲストに来られる集会があるとの謄写版刷りのハガキが届きましたが、中学生で、豊中は遠く感じ、また、参加者は高校生以上のようにも思え、気おくれして行かなかったことがありました。

ばばよしあきさんとは、私が中学生の頃は、高校を卒業していたぐらいの年齢差があり、のちにマンガ同人会で知り合った川崎ゆきおさんや屋我平勇さんたちと同年代だと思います。

「ぐら・こん」の関西支部の集会が、新阪急ホテルで開催され、なんだか、会が紛糾したという思い出が書かれていましたが、川崎ゆきおさんから、ばばよしあきさんがいた集会で、揉め事があったというような思い出話を聴いたことがありましたが、その日のことでしょうね。

うろ覚えなのですが、当時、川崎ゆきおさんの御名前が、「ぐら・こん」の兵庫支部長として載っているのを見た記憶があります。

2代目の関西支部長になったのが、中室よしひろさんで、20数年ぶりに、「あれもやりたい これもやりたい」(浪速社)を発行された中室さんと再会されたことが書かれていますが、「あれもやりたい これもやりたい」には、川崎ゆきおさんのマンガに登場されている北中久雄さん、淀川さんぽさんたちによる座談会が掲載されていました。

中室よしひろさんと淀川さんぽさんの先祖の墓が同じ場所にあるということで、一緒に墓参りに行くレポートが掲載されてもいました。

淀川さんぽさんの奥さんの作・演出の芝居を観に行ったら、淀川さんぽさんと中室よしひろさんが出演されていました。

川崎ゆきおさんから、中室よしひろさんが「棒読みのトモキ」と呼ばれていると聴いた記憶があります。

「週刊少年マガジン」に見開き2ページで、読者からの情報告知のページがあり、私は中学生の頃だと思うのですが、中室さんが高校生の頃なのかな、智紀よしひろというペンネームでオフセット印刷の同人誌を発行されたことが載っていて、「LIFE」という同人誌を送ってもらったことがありましたが、素人がこんな印刷物を出せるのかと感心したものでした。

ばばよしあきさんの作画グループが発行された「ぐるーぷ」にも、マンガ同人会が、こんな新書判コミックスの単行本を出せるのかと驚かされました。

印刷をされたのが東考社で、私も国分寺にあった東考社まで、マンガ原稿用紙を買いに行ったことがありました。
当時、市販はされていませんでしたが、東考社で販売されていました。

社長の桜井昌一さんは不在で、奥さんが対応してくださいましたが、桜井さんの回想録「ぼくは劇画の仕掛人だった」に、大阪の日の丸文庫のふたりの女性社員のうちの美人ではないほうと書かれていたかたですが、親切に対応してくださいました。

朝ドラ「ゲゲゲの女房」に東考社のおふたりがモデルとして登場していましたが、奥さんはキツイ性格に描かれていて、そんなぁ~と思ったものでした。

梅田の阪急ファイブにあった駸々堂書店には、マンガ同人誌を扱っているコーナーがあり、大友出版が発行しているマンガ原稿用紙も置かれていました。

薄い青色で方眼状に印刷された文字ページ用の原稿用紙も販売されていて、これが重宝なものでしたが、見かけなくなり、生野区の大友出版まで買いに行ったら、製造を中止しましたと、社長の、うわだよしのりさんが対応してくださいました。

うわだよしのりさんは、作画グループの会員だったかたでもあり、大阪集会に参加されているのを見たりもしていました。

大友出版は、マンガ同人誌専門の印刷会社の創始者的な存在でしたが、独自に単行本の発行も企画されていたようで、その中に、1コママンガ家の篠原ユキオさんもおられるようでした。

「週刊少年キング」に連載された「ガッツ200連勝」(天馬おさむ)が、大友出版から新書判コミックとして発行されたのを購入しましたが、うわだよしのりさんの判断で「ガッツ200勝」と改題、ばばよしあきさんが、「200連勝」と「200勝」とでは意味が違ってくると不満を述べておられますが、「少年キング」の連勝中にも読んでいましたが、気がつきませんでした。

3ヶ月に1度ぐらい、東大阪で、作画グループの大阪集会が開催され、それに行くのが楽しみでしたが、その集会で、天馬おさむさんと話をさせてもらったこともありました。

天馬おさむさんは女性のかたで、「少年キング」の担当編集者だった坂本益造さんと、後に結婚されたと知りました。

あべのアポロビルに、文字通りの掲示板コーナーがあり、インターネットのなかった時代、そこの貼り紙で、劇団員募集やバンドメンバー募集、マンガ同人会の会員募集をされていて、堺の女子高校生の福本さんというかたの絵がうまく、手紙を出して、同人誌に参加したことがありました。

福本さんは「少年キング」編集部に、それを送ったらしく、掲載された私のマンガを見た坂本益造さんから、編集部まで来てくださいとの手紙が届き、その後、何度か、坂本さんに自作のマンガを見てもらいに、編集部を訪ねたことがありました。

私の結果は出ませんでしたが、福本さんは、庄司陽子さんのアシスタントになり、新人賞の大賞を受賞されたりしていました。

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雑誌「COM」が「COMコミックス」と改題し変貌した号に、届いた順にボツなしで印刷されるという、当時、画期的だった、マンガとイラストの同人会「サークル広場」の会員募集が載っていて、高校生の時に入会しました。

「週刊少年マガジン」の見開き2ページの情報告知で、「第1回・日本漫画大会」が開催されることを知り、参加することにして、「サークル広場」から参加されるかたがいませんか?と林会長に問い合わせると、中島昌利さんが参加されるとのことで、中島さんは大会スタッフで、新宿の石森プロ(幼年誌用の「仮面ライダー」を制作されている石森プロの別館のような存在だったでしょうか)が運営スタッフの本部になっているとのことで、大会前日から、そこに宿泊させてもらうことになりました。

前日の深夜、アニメ上映用の特殊なレンズを借りに手塚プロと、展示用の生原稿を松本零士さん宅に借りに行くのに、大会委員長の青柳誠さんが連れて行ってくださり、深夜にふたりで、そこをまわりました。

玄関に出てこられた、ワラジをはいた松本零士さんが、生原稿を手渡して、「青柳くんなら信用できるから」と言っておられました。

青柳さんから年齢を尋ねられて「16歳」と応えると、「若いなぁ!自分は24歳です」と言っておられました。

翌朝、新宿の石森プロから、会場に向かいましたが、若かりし頃の吾妻ひでおさんと、吾妻作品に登場するキャラクターのモデルのかたがたも同行しました。

印刷物のマンガ同人誌は、わずかに発行されているしかなく、マンガの生原稿を綴じた肉筆回覧誌の時代で、漫画大会の会場では、それらの肉筆回覧誌が紐に結わえられてテーブルに置いて閲覧できる場所がありました。
コミケ以前の時代です。

大会の終了後、大学生だった中島昌利さん宅に宿泊をさせていただきました。

翌日、中島昌利さんが、「少年ジャンプ」「少年キング」「少年チャンピオン」編集部に持ち込みをされるのに同行させてくださいました。

予約とか入館許可証とか、そんな固いことを言わない時代のことです。
新社屋を建てる前、「少年キング」の少年画報社と対面して「少年チャンピオン」の秋田書店があった時代です。

のちに、私は「少年キング」「少年サンデー」「少年マガジン」編集部に持ち込みをしたので、少年週刊誌の主要5誌の編集部に、すべて足を運んだことになります。

中島昌利さんは、のちに、月刊誌「冒険王」の「仮面ライダーV3」(山田ゴロ)のアシスタントをされていて、ショッカーに殺害された人物名簿の中に私の名前を書いてくださり、近所に住む小学生の従兄弟が、たまたま、それを見て、驚いていたということがありました。

ばばよしあきさんのこの回想録を読んで謎がとけたことがありました。

私が高校生の平日の夕方、週に1度、中・高校生向きの関西テレビの生放送番組がありました。

西川きよしさんの司会で、今は、ラジオの、おばはんキャラクターの桜井一枝さんが女子大生時代でレポーターをされていた番組があり、視聴者からのマンガ作品の募集があり、紙芝居のように入選作のマンガが映されていました。

選者として「少年ジャンプ」の初代編集長の長野規(ただす)さんが出演されていました。

何ページぐらいのマンガとして募集はされるのですが、発表されるのは紙芝居状態、入選者は、いつも見る人ばかりという感じがあったのですが、明日の放送に間に合うように、マンガを描く女性を紹介してほしいとテレビ局から頼まれた男から、ばばさんが連絡を受け、女性が一晩で紙芝居を描きあけるというエピソードがありました。
そのような依頼があって、入選作は生まれていたのですね。

その「少年ジャンプ」の初代編集者の長野規さんとは好みが合うようなところがあり、「少年ジャンプ」も後とは違って地味なマンガが多く、私の投稿作、15ページのギャグマンガ「ボール買い占め」が、月刊誌「別冊少年ジャンプ」に、高校3年生の秋に掲載されたことがありました。

高校の隣のクラスの山本くんからの電話で載っていることを知り、編集部からは何の連絡もありませんでしたが、そんなものだったのかなと不思議な気もします。

作画グループでは、新書判コミックスの単行本が何冊か刊行されて、その中に、ばばよしあきさん(まぜき伸吾)、聖悠紀さん、みなもと太郎さんの3作品収録のものがあって、山本くんは、会費を集めて、特定の人間のマンガだけを印刷するのはおかしい!と憤慨しながら言っていましたが、私は、まぁ、そんなこともあるだろう程度に、気にはなりませんでした。

あと、山本くんから誘われて、山本くんの友人たちと4人で同人誌を作ろうという話になり、私が、誌名として、「4漫knight(しまんないっ)」を考え却下されるというところまでしか進行しませんでしたが、そのうちのひとりが、「ジュンマンガ」に関係されていた西上ハルオさんの事務所に入り、奈良ドリームランドのイベントで似顔絵描きをするということを聴いたことがありましたが、その時のことなのかな、ばばよしあきさんとみなもと太郎さんも参加され、ばばさんもマンガ教室というイベントで絵を描かれたそうです。

「ジュンマンガ」を主宰されていた酒井七馬さんと、この時、お会いされているそうです。

「ぐるーぷ」の創刊号に、友人の「少年マガジン」の新人賞に応募して落選したマンガを掲載したくて、「少年マガジン」編集部に赴き、当時は、応募原稿は返却されなくて、頼み込み、倉庫で、その応募原稿を探すエピソードがありました。

のちに、「週刊少年マガジン」では、作画グループのメンバーによる合作マンガ「アキラ・ミオ大漂流」が連載されますが、その中に、「作画グループのメンバーにしかわからないギャグ、超人ヒッチ」という場面がありました。

聖悠紀さんの「超人ロック」は、作画グループの肉筆回覧誌に収録され、会員間のみを、郵送で読まれていました。
マンガ家の萩尾望都さんが、それを読みたくて、ばばよしあきさん宅を訪れたこともあるそうです。

何週か後の「週刊少年マガジン」の「キッカイくん」(永井豪)に、孫悟空のキャラクターが登場し、「モリテ、モリテ」と他のキャラクターから囃し立てられ、「モリテは、ダイナミック・プロにしかわからないギャグ」という場面がありました。

「第1回・日本漫画大会」で、運営スタッフの中で宿泊させてもらった際、どなたかが、「青柳誠さんがモリテです」と言っておられましたが、理由までは聴きませんでした。

作画グループの合作マンガは、掲載誌を変えて継続され、「少年キング」では、作画グループの特集とともに載りました。
その合作する作業場として、マンガ家の花村えい子さんが別荘を貸してくれたそうで、そのマンガレポートを中島昌利さんが描いておられたそうです。

作画グループの主要メンバーの沢田ユキオさんの入選作品を、マンガ家の貝塚ひろしさんが発行されていた「まんがマニア」や「少年ジャンプ」でよく拝見していて、自分のマンガが「別冊少年ジャンプ」に掲載された際、大阪集会にいつも来られていて話したこともあるので、感想を聴いてみたくなりましたが、ウレシガリのようでもあり、持参しないことにしました。

東大阪の集会の場所には、自宅から1時間ほどかかるのですが、集会自体は4時間ほどあり、沢田ユキオさんの姿を見て、やはり見てもらいたくなり、退出し、家に「別冊少年ジャンプ」を取りに戻り、再び、集会場所に行きましたが、到着した時には、沢田ユキオさんは帰られましたよとのことでした。

その次の集会には、持参し、「ボール買い占め」を見ていただきましたが、「これは、ギャグマンガではなくて、ストーリーマンガだなぁ」と、おっしゃっていました。
沢田ユキオさんはギャグマンガを専門に描かれていました。

このページなんか、ストーリーマンガだといわれてみれば、そうだなと思いますね。↓

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「別冊少年ジャンプ」に「ボール買い占め」が掲載された際、ばばよしあきさんに電話をかけて報告してみましたが、「見ましたよ。頑張っているなぁと思った」と言っておられました。

その後、集会でお会いした際に、編集部からは何も言ってこないので、自分から次から次と描いていかないとダメですよという助言を、ばばさんからいただきましたが、次から次へと描いてはいけませんでした。

ばばよしあきさんのこの回想録に、大阪集会の終了後、8人から20人ほどが、近くの自宅にやってくることがあったと書かれていましたが、私も、1度、伺ったことがありました。

その後、ばばよしあきさんは東京に転居されましたが、編集者となられたようで、そのあたりのことは、この回想録で知ることとなりました。

板橋区立産業会館で「第1回・作画グループ総会」というのが開催され、合宿込みで参加したことがありました。
大広間で、みなもと太郎さんがサインをされていたのを眺めていた記憶があります。

帰りは、有志が夜行バスで大阪に帰りましたが、隣の席には、作画グループの女性会員が座っていて、就寝中の身体があたってきました。
後日、長居公園をデートしました。

その総会の際、東京の作画グループの本部に寄り、大阪の植松さんと塚本さんと私が、1冊ずつ、肉筆回覧誌の編集をしたいと、作品を選び、大阪に戻ってから、植松さん宅に集い編集や造本の作業をしました。

東京でも、そのように編集作業をされていたようで、肉筆回覧誌に掲載された(会誌に印刷されることを希望して投稿したわけですが)、私の「クリスマス・ツリー」を本部で見た、松原ふみ子さんと槇田妙子さんという女性から、あの少年の絵を描いて送ってくださいという手紙をいただき、描いて送ったことがありました。

東京での総会の際、松原さんと挨拶をさせてもらいましたが、私は人見知りが激しく愛想がなくて申し訳なかったと思います。

サークル広場で、私が高校生の時、中学生だった有野陽一さんと交流を持っていましたが、有野さんは大学生になったあたりで作画グループに入られて、後に評論家や原作者になる大塚英志さんと松原さんと槇田さんの4人でギャグマンガの合作をして、「なかま」という会報に掲載されているのを見かけました。

作画グループの会報に掲載されていた聖悠紀さんの「まんがスパルタ学院」が小学館の雑誌「マンガくん」の別冊付録になる際、作画グループの会員に配布するため、600部を小学館に、ばばさんは要求されたそうで、それだけの会員数、500人ほどがいたようです。

阪急ファイブの駸々堂書店からは、作画グループ発行の単行本「GROUP」を、毎号、500冊の注文があったそうです。

「お元気ですか?」と会誌には、いつも、ばばよしあきさんのボールペンの直筆のコメントが書かれていましたが、パソコンのない時代、宛名など、直接記入の時代、たいへんだったことでしょう。

「クリスマス・ツリー」を投稿した際、ハガキで、「少女の脚が開きすぎだと思います。」というコメントをくださいました。

「クリスマス・ツリー」は、全ページ、このブログに載せています。

●マンガ「クリスマス・ツリー」
https://hitcity.exblog.jp/12545214/

この少女の脚が開きすぎというわけですね。↓
たしかに、そんな気もしますね。

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「第1回・日本漫画大会」に参加した際、あとで会誌を発行するということで、運営スタッフのかた(青柳誠だったのかな)から、文章を依頼され、送り、それが掲載されたことがありました。

翌年の「第2回・日本漫画大会」に参加した際、ばばよしあきさんから、それについてのレポートを文章で依頼され、作画グループの会報に載せてもらいました。

第1回はスタッフ側で参加し楽しかったものの、第2回は一般参加で物足りなく、つまらなかったようなことを書きました。

「第2回・日本漫画大会」から、後に出た会誌には、その作画グループの私の文章を見たらしく、それに対しての反論が書かれていたように記憶しています。

ばばよしあきさんと青柳誠さんが、長く交流を持っておられたことを、この回想録で知りました。

デザイン会社勤務時代、帰宅後、毎日1冊、司馬遼太郎さんの小説の文庫本を読了し、50冊近くまで続けたことがありました。

1作品、たとえば幕末物を読むと、あとは主人公違いで、慣れ親しんだ世界の小説の印象があり、読みやすくなります。

そして、ここで、坂本龍馬さんと高杉晋作さんは、このようにして出会っていたのかと、作品ごとの楽しみが生じてきます。

この「この道を歩む/私の漫画活動」は、たとえば、ばばよしあきさんが坂本龍馬さん、青柳誠さんが高杉晋作さんというような印象を持って私は読むことができました。

しかも、私は、それぞれに、わずかでも関わりがあったことがあり、坂本龍馬さん(武田鉄矢さんにあらず)の海援隊に所属していたこともあるのだと、そうした面白みを感じることのできる回想録でした。

思い出すまま、とりとめもない書きかたになってしまいましたが、一応、私の関わりかたも記録してみたくなり、書いてみました。

あと、「COM」が、1号だけ復活して発行されたことがあり、集会で、ばばよしあきさんが、みやわき心太郎さんの「あたたかい朝」が載っただけで価値があると言っておられたことが、私も気に入っているマンガだったので、嬉しく思ったことがありました。
貸本マンガのリメイクだということを、ばばさんは言っておられましたが、それも拝見したい気がしますね。

ばばよしあきさんは、2年前の6月にお亡くなりになられたそうです。
出会えてよかった人です。

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「この道を歩む/私の漫画活動」
著者 ばばよしあき
編集 田中フキコ belne
発行日 2018年5月5日
発行 作画グループ〈仲間の会〉SG企画



by hitcity | 2018-07-01 15:03 | Comments(2)
   

高木ひとしのブログです。ツイッターもやっています(高木ひとし@ hithitcity )。連絡事項のあるかたは非公開チェックのうえコメント欄を利用していただくかツイッターでお願い致します。
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